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『2026年5月13日は何の日?』

明日の #5月13日 は #日本 では #何の日 かをまとめてみました。

愛犬の日

5月13日は、愛犬の日です。今日という日に犬への思いを巡らせる前に、まず一つの「謎」をお伝えしなければなりません。この記念日は長らく、一般社団法人ジャパンケネルクラブが1994年(平成6年)に制定したものとして広く知られてきました。ところが、同クラブの公式サイトに掲載されているよくある質問のページには、「それは誤った情報である」とはっきり記されています。もう一つの説として、同クラブの前身である全日本警備犬協会の創立を記念した日という情報もありましたが、これも誤りであることが確認されています。では、誰が、何のためにこの日を定めたのか。制定者については現在も記録が定かではなく、有力な説の一つとして、戦後に創刊された犬専門誌を出版していた会社が昭和30年代にこの日にイベントを開催していたことに由来するという話が残っています。

出自が曖昧であることは、この記念日の価値を損なわないどころか、むしろ「人と犬の関係の深さ」を象徴しているとも言えます。いつ誰が決めたかわからないほど、犬と人間は長く、当たり前のように寄り添ってきた。その歴史は、記録をはるかに超えたところにあります。犬が人間の生活に入り込んだのは、今から約1万5,000年前とも言われ、これはあらゆる家畜の中で最も古い部類に属します。狩猟の相棒として始まった関係は、牧畜の補助、警護、そして愛玩へと役割を広げ、現在に至っています。日本においても、縄文時代の遺跡から犬の骨が人間と並んで埋葬されている様子が発掘されており、単なる「道具」ではなく「家族」として扱われていた痕跡が見て取れます。

現在、国内で犬を飼育している世帯は全体の1割強とされており、登録犬数は数百万頭規模にのぼります。純血種の公認・登録を行う一般社団法人ジャパンケネルクラブは、国際畜犬連盟に加盟しており、世界80カ国以上のネットワークを持つ組織です。同クラブでは約200犬種を登録し、それぞれの犬種標準を定めています。世界全体では非公認の犬種も含めると700から800種が存在するとも言われており、人間が長い時間をかけて目的に応じた姿に育ててきた多様性には、圧倒されるものがあります。

今日は一度、愛犬の目をまっすぐに見つめてみてください。犬は人間の顔を読む能力が非常に高く、感情を読み取って反応することが研究で示されています。毎日そばにいるからこそ見逃しがちな、その存在のかけがえなさに気づく一日にしてほしいと思います。犬を飼っていない方も、近所を散歩する犬に目を向けてみれば、人と動物が共に暮らしてきた長い時間の欠片を、日常の中に見つけられるかもしれません。

メイストーム・デー

5月13日は、メイストーム・デーです。バレンタインデーから数えてちょうど88日目にあたるこの日は、「別れ話を切り出すのに最適な日」として語られてきました。少し奇妙な響きを持つ記念日ですが、その背景には日本の季節感に根ざした詩情があります。制定者については公式に記録された団体や個人は確認されておらず、いつしか自然発生的に広まった記念日とされています。

「八十八夜の別れ霜」という言葉をご存知でしょうか。立春から数えて88日目の八十八夜(おおよそ5月2日頃)に降りる霜は、その季節の最後の霜とされてきました。この時期を過ぎれば霜の心配がなくなるという農業的な知恵から生まれた言葉ですが、「別れ」という文字が含まれることから、恋愛における終わりと結びつけられたようです。バレンタインデーに愛を告げ、その88日後に別れを告げる。日本人の季節への感受性と、少し皮肉な恋愛観が交差した記念日と言えます。

「メイストーム」という言葉自体は和製英語で、英語圏では通じない表現です。5月頃に温帯低気圧が急速に発達し、強風や大雨をもたらす気象現象を指しており、穏やかなイメージの5月に似つかわしくない荒れ模様が訪れることがあります。五月晴れと五月嵐が共存する季節であることは、気象的な事実ですが、人の心もまた似たようなものかもしれません。暖かくなって気持ちが動き出す季節だからこそ、関係の変化も起きやすい。メイストームという言葉は、そんな5月の両面を一語で表しています。

「別れを告げる日」と聞くと少し物悲しい気持ちになりますが、見方を変えれば、この日は「関係を見直す日」とも言えます。今日は大切な人との関係について、改めて考えてみる機会にしてみてはいかがでしょうか。別れではなく、むしろ感謝や思いやりを伝える日として使う方が、5月という季節にはふさわしいように思います。

カクテルの日

5月13日は、カクテルの日です。この記念日には、1806年のアメリカにまで遡る由来があります。その年、ニューヨークで発行されていた週刊新聞『バランス・アンド・コロンビア・リポジトリ』に、「カクテル」という名称が初めて文字として登場しました。そして翌週、すなわち1806年5月13日号において、読者からの問い合わせに答える形で「カクテルとは何か」が初めて文書として定義されたのです。この歴史的な一節を記念して、アメリカでは5月13日がワールドカクテルデーとして広く知られるようになりました。日本では2011年(平成23年)に一般社団法人日本バーテンダー協会がこの日をカクテルの日として採用し、各地でカクテルイベントが開催されるようになっています。

カクテルの定義とは何か。1806年の新聞が示した答えは、蒸留酒・砂糖・水・ビターズを組み合わせたものでした。現代のカクテルはその概念をはるかに超え、フルーツジュースや炭酸水、リキュール、ハーブなど無数の素材を組み合わせた芸術的な飲み物へと進化しています。世界には何千ものレシピが存在し、バーテンダーの技術と想像力によって日々新しいカクテルが生まれ続けています。日本のバーテンダーは国際的な競技会でも高い評価を受けており、その繊細な技術と美意識は世界的に認められています。

カクテルの魅力の一つは、「見た目」が持つ力です。グラスの中に広がる色のグラデーション、フルーツや葉のガーニッシュ、細かい氷の輝き。一杯のカクテルは視覚的な体験であり、その場の空気を作り出す装置でもあります。カクテルを注文するという行為には、その夜をどう過ごしたいかという意思が込められています。華やかな赤いカクテルを頼む人と、無色透明な一杯を静かに傾ける人では、その夜に求めているものが違う。バーという空間は、そんな個人の時間を静かに受け止める場所です。

今夜、家の近くのバーに足を運んでみることをお勧めします。カクテルを普段飲まない方こそ、バーテンダーに「今日の気分に合うものを」と一言告げてみてください。その人のためだけに選ばれた一杯は、あなたが思う以上に、今夜の時間を豊かにしてくれるはずです。

竹酔日・竹植うる日

5月13日は、竹酔日・竹植うる日です。中国に古くから伝わる俗説によれば、旧暦の5月13日は竹が酒に酔っている日であり、この日に竹を移植すると竹が自分が植え替えられたことに気づかず、よく根付いて繁茂するとされてきました。「竹迷日」とも呼ばれるこの日は、「竹植うる日」として夏の季語にもなっており、日本の俳句の世界でも長く親しまれてきた季節の節目です。制定者という概念とは少し異なりますが、この慣習は中国の民間信仰から伝わり、日本の農事や文化の中に自然と根を下ろしてきました。

俳聖と呼ばれる松尾芭蕉が「降らずとも竹植うる日は蓑と笠」という句を詠んでいます。雨が降っていなくても、竹を植えるこの日には蓑と笠を着て臨みたい、という意味を持つこの句は、竹植うる日という季語が持つ厳かな雰囲気をよく伝えています。竹を植えることが、単なる農作業ではなく、季節の節目における儀礼的な意味を帯びていたことが感じられます。

竹という植物の不思議さについても触れておきたいと思います。竹は植物の中でも際立った成長速度を誇り、種類によっては1日に1メートル以上伸びることもあります。木材のような堅さを持ちながら、しなやかに曲がるという相反する性質は、建材・食材・工芸品・楽器と、あらゆる用途に対応してきた理由です。日本では縄文時代から竹が利用されており、農具・籠・笛・茶道具にいたるまで、竹なしには成立しなかった文化が数多くあります。また、竹藪はパンダの主食の場でもあり、絶滅危惧種の保護という観点からも、竹の存在は現代的な意味を持つようになっています。

竹酔日にちなんで、今日は竹に触れてみる一日はいかがでしょうか。竹細工の器を取り出して使ってみる、竹の子(旬は少し過ぎますが)を使った料理を試みる、あるいは近くの竹林を歩いて、あの独特の清涼感のある音に耳を傾ける。竹がかつて日本人の暮らしの中心にあったことを、身をもって感じられる体験になるはずです。

トップガンの日

5月13日は、トップガンの日です。1986年5月16日にアメリカで公開された映画『トップガン』は、その翌年、日本でも公開され、1987年度の洋画配給収入1位を記録しました。この映画の初公開日に近い5月13日が、多くのファンや関係者によってトップガンの日として語られるようになりました。制定の主体について公式な団体や記録は確認されておらず、映画を愛するファンの間から自然発生的に広まった記念日と見るのが妥当です。

この映画が記録的なヒットを収めた背景には、単純に「飛行機アクション映画」としての完成度だけではない事情がありました。日本での販売において、当初はアクション映画として売り込もうとしたものの前売り券がほとんど売れなかったというエピソードは有名です。映画予告編の制作を依頼された会社の女性社長が「主演のトム・クルーズは日本人好みの顔立ちだ」と直感し、恋愛映画風の予告編を自ら作り直して差し替えました。この判断が若い女性観客を取り込むことに成功し、アクション映画が恋愛映画として大ヒットするという異例の展開を生みました。マーケティングの機転が、文化の受容を変えた一例として語り継がれています。

タイトルにもなった「トップガン」とは、1969年3月に創立されたアメリカ海軍戦闘機兵器学校の通称です。エリートパイロットの上位1パーセントだけが選ばれる養成機関であり、その名称は映画を通じて世界中に知れ渡りました。映画の撮影には実際の海軍の協力が得られ、本物の戦闘機と空母が使用されたことも話題を呼びました。2022年には続編『トップガン マーヴェリック』が公開され、オリジナルから36年の時を経てトム・クルーズが同役を演じるという異例の作品となり、世界興行収入14億ドルを超える大ヒットとなりました。

今日は『トップガン』または『トップガン マーヴェリック』を改めて観てみるのはいかがでしょうか。1980年代の作品と2020年代の続編を並べると、映画技術の進歩だけでなく、エンターテインメントが何十年も人の心に残り続ける力について、しみじみ考えさせられます。

防犯建物部品で安全・安心・防犯の日

5月13日は、防犯建物部品で安全・安心・防犯の日です。この記念日を制定したのは、一般社団法人板硝子協会・日本ウインドウ・フィルム工業会・一般社団法人日本サッシ協会・一般社団法人日本シヤッター・ドア協会・日本ロック工業会の5つの業界団体で構成される「5団体防犯建物部品普及促進協議会」です。5団体が1つの共通標章ラベル(CPマーク)を制定し、「安全」「安心」「防犯」という3つのキーワードを掲げて活動していることから、「5」「1」「3」を組み合わせ、5月13日が記念日として設定されました。一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されています。

「防犯建物部品」とは、住宅への不法侵入を物理的に困難にするよう設計された窓・ドア・錠前・シャッターなどの建物構成部品の総称です。警察庁のデータによれば、侵入に5分以上かかると約7割の犯罪者が諦め、10分以上かかると9割が諦めるとされています。つまり、鍵を一つ追加する、窓ガラスを防犯仕様に変えるといった小さな対策が、不審者に「時間がかかる」と判断させるだけで、大きな抑止力になるわけです。この事実は、防犯が「特別な装備」ではなく、日常的な「建物の質」の問題であることを示しています。

CPマーク(防犯性能の高い建物部品の共通ラベル)は、警察庁・国土交通省・経済産業省が連携し、第三者機関による試験で防犯性能が確認された建物部品にのみ貼付される認定マークです。ドア・錠前・サッシ・ガラス・シャッターなど多岐にわたる製品が対象となっており、現在、目録に掲載されている品目は数千点に及びます。住まいを選ぶ際や、リフォームを検討する際に、このマークの有無を確認することは、住環境の安全性を判断する一つの基準になります。

今日を機に、自宅の窓や玄関ドアを改めて点検してみてください。鍵が一つしかない玄関は、補助錠を追加するだけで防犯性は格段に上がります。窓の鍵がガタついていたり、古いサッシがそのままになっていたりする場合は、CPマーク付きの製品への交換を検討する価値があります。今日という記念日は、そのきっかけになるはずです。

花袋忌

5月13日は、花袋忌です。明治から昭和前期にかけて活躍した小説家・田山花袋が、1930年(昭和5年)5月13日に58歳で亡くなりました。その忌日にちなんで、この日は花袋忌と呼ばれています。田山花袋は1872年(明治5年)に現在の群馬県館林市に生まれ、自然主義文学の旗手として日本近代文学史に確固たる地位を築きました。その生涯は、明治・大正・昭和にまたがる日本語表現の変革期と重なっています。

花袋の名を文学史に刻み込んだのは、1907年(明治40年)に発表された小説『蒲団』です。この作品は、弟子の女性への感情を赤裸々に描いた、当時としては衝撃的な自白小説でした。「暴露小説」と呼ばれたこの作品は、日本の自然主義文学の代表作として位置づけられています。自然主義とは、感傷や美化を排し、現実を「あるがまま」に描こうとする文学的立場であり、花袋はこの潮流を文芸雑誌「文章世界」を通じて広く普及させました。現在の目から見ると衝撃度は薄れているかもしれませんが、「内面をそのまま書く」という手法が当時いかに革新的だったかは、その後の日本文学が私小説という独自のジャンルを発展させたことからも伺えます。

花袋のもう一つの代表作である『田舎教師』(1909年)は、若い教師の孤独な日常と夭折を描いた作品です。舞台となったのは埼玉県の羽生で、主人公のモデルとなった実在の青年教師の日記をもとに書かれました。土地に根ざした人間の哀感を丁寧に掬い取るこの作品は、今なお読み継がれる名作として評価されています。館林市には田山花袋記念文学館があり、その生涯と作品に関する資料が保存・公開されています。

花袋忌にちなんで、今日は日本の明治文学に触れてみることをお勧めします。『蒲団』は短編に近い長さで読みやすく、現代語で読んでも十分に伝わる文体です。100年以上前の人間が内面を書き記した文章が、今も「わかる」と思える瞬間があるとすれば、それは文学が時代を超えて機能している何よりの証拠です。

愛鳥週間(5月10日~5月16日)

5月13日は、愛鳥週間のただなかにあります。愛鳥週間とは、毎年5月10日から16日までの1週間を指す年中行事で、野鳥の保護思想の普及を目的として1950年(昭和25年)に制定されました。制定の経緯を遡ると、戦後間もない1946年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から「国民全般に鳥類についての正しい知識と愛護思想を普及するよう学校教育・社会教育に取り組んでほしい」との提案がなされたことに始まります。翌1947年にはアメリカ人鳥類学者のオリバー・L・オースチン博士の提唱により、4月10日が「バードデー(愛鳥の日)」として制定されました。その後、北国では4月に積雪が残るという理由から5月10日に変更され、1950年からは1日間だった行事を1週間に延長し、現在の「愛鳥週間(バードウィーク)」が定着しました。現在は鳥類保護連絡協議会がこの週間を主管しており、環境省もこれを推奨しています。

野鳥が減少しているという事実は、環境の変化を読み取るバロメーターとして長く機能してきました。鳥は食物連鎖の中間に位置し、虫を食べ、植物の種を運び、その排泄物が土壌を豊かにします。ある地域から鳥の声が消えるとき、それはその場所の生態系が静かに崩れ始めていることを意味します。1950年代から60年代にかけて農薬の大量使用が問題化したとき、いち早くその影響が現れたのも野鳥でした。「炭鉱のカナリア」という表現がありますが、野鳥は自然環境の異変を告げる現代の警報装置でもあります。

愛鳥週間の期間中、全国各地でバードウォッチングのイベントや野鳥保護に関する講演会が開催されます。また、毎年愛鳥週間用のポスター原画コンクールが行われており、子どもたちが鳥を描くことを通じて自然環境への関心を育てる取り組みが続けられています。5月の野鳥は繁殖期にあたり、さえずりが最も活発になる季節です。この時期の朝、窓を開けただけで複数の野鳥の声が聞こえてくるのは、都市部でも珍しくありません。シジュウカラ・ヒヨドリ・ウグイス・ツバメといった身近な鳥たちの声を意識して聞くだけで、日常の風景がわずかに豊かになります。

今週のどこか一日、少し早起きして近くの公園や緑地を歩いてみることをお勧めします。双眼鏡がなくても、耳を澄ませるだけで十分です。今まで気づかなかった声が聞こえ、今まで見えなかった鳥の姿が目に入るようになるかもしれません。鳥を見る習慣は、自分の周囲の環境を丁寧に観察するという、豊かな生き方の入り口になります。

 

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玉座錠をWESTの「801万能取替玉座」へ交換

玉座錠をWESTの「801万能取替玉座」へ交換

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【ご依頼内容:握り玉錠のぐらつきと鍵不足を解消したい】

ずっと使ってきた握り玉錠が、最近は鍵を回すのが重くなってきて、ノブ自体にもぐらつきが出てきた。

開閉の度に不安で、壊れる前に交換したい。
あと、家族で使う鍵の本数が足りてないので追加したい。

【玉座錠をWESTの「801万能取替玉座」へ交換】

既存の玉座錠を取り外すと、内部の機構に経年摩耗による劣化が確認されました。

扉厚・バックセット・取付寸法を現地で採寸したうえで、幅広い扉規格に対応できるWEST社の「801万能取替玉座」をご提案。
万能タイプならではの高い汎用性から、既存扉への加工なしでの取り付けが可能で、古い玄関扉にも無理なく適合します。

取付面の清掃を行いながら施工を進め、新しい玉座をセット後、ノブの操作感・ラッチの動きも含めて調整しました。

子鍵2本は後日郵送にてお届け予定です。なお、玉座錠はぐらつきや操作の重さが出てきたら交換のサインと考えて、お早めの対処をおすすめします。

【お客様の声】

ノブがしっかりして、ずいぶん使いやすくなった。見た目もきれいになって嬉しい。鍵も追加してもらえて、家族みんなで使えるようになり助かります。 

 

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『2026年5月12日は何の日?』

本日の #5月12日 は #日本 では #何の日 かをまとめてみました。

国際看護師の日

5月12日は、国際看護師の日です。白衣の天使と呼ばれる看護師たちに思いを馳せるこの日、その起源をたどると、19世紀のヨーロッパへとさかのぼります。

この記念日を制定したのは、国際看護師協会(ICN)です。1965年に、近代看護の礎を築いたフローレンス・ナイチンゲールの誕生日である5月12日をその記念日と定めました。ナイチンゲールは1820年、両親の新婚旅行中にイタリアのフィレンツェで生まれました。フローレンスという名は、フィレンツェの英語表記に由来するものです。裕福な家庭に育ち、フランス語・ギリシャ語・ラテン語といった複数の言語に加え、経済学や数学まで修めた知識人でしたが、貧しい農民の暮らしを目の当たりにして、人の役に立つ仕事を志すようになりました。当時の上流階級の女性が看護師を目指すことは社会的に受け入れられておらず、家族の猛反対を押し切っての決断でした。

クリミア戦争の前線病院で彼女が目にしたのは、負傷よりも不衛生な環境による感染症で命を落とす兵士たちの姿でした。ナイチンゲールは統計という当時まだ新しい手法を駆使して、死因の分析と環境改善に取り組みました。現在でもよく知られる円グラフを用いた統計図表は、彼女が議会や政府関係者に改革の必要性を訴えるために作成したものです。数字と視覚化で人を動かすというアプローチは、200年近く前にすでに実践されていたのです。

日本では2002年に「看護婦」から「看護師」という表記に改められたことに合わせ、国際看護婦の日から国際看護師の日へと名称が変更されました。アメリカとカナダでは5月9日から15日を「国民看護週間」として、この日を中心にさまざまな行事が行われています。今日一日、日常の医療と介護を支える看護師という存在に、改めて目を向けてみてください。あなたの身近にいる看護師に、感謝の気持ちを伝える機会にもなるかもしれません。

ナイチンゲール・デー

5月12日は、ナイチンゲール・デーです。国際看護師の日と同じく、フローレンス・ナイチンゲールの誕生日に由来するこの記念日は、彼女の功績を称えることを目的として、1920年に赤十字社によって制定されました。

国際看護師の日が「看護師という職業・専門性」を広く社会に認知してもらうための記念日であるのに対し、ナイチンゲール・デーはナイチンゲール個人の生き方と業績にスポットを当てた記念日です。この違いは小さなようで、意味深いものがあります。一人の人間の信念と行動が、世界規模の制度や文化を変えることがあると、この記念日は静かに語りかけています。

ナイチンゲールが実践した改革は、清潔な水の供給、換気の改善、食事の質の向上といった、現代の視点からすれば当然のことばかりです。しかし当時の医療関係者の多くは、これらが死亡率に影響するとは信じていませんでした。彼女はデータを集め、記録し、分析し、反論しにくい形で示すことで周囲を動かしていきました。情熱だけではなく、論理と証拠を武器にした改革者だったのです。

ナイチンゲールが設立したロンドンのナイチンゲール看護学校は、近代看護教育の原点とされています。彼女が1859年に著した「看護覚え書」は、今日でも看護師を目指す人々に読まれ続けている古典です。90年という長い生涯を通じて書き残した著書や書簡は200点を超えるとされ、単なる実践家ではなく思想家・著述家としての顔も持っていました。5月12日という日に彼女の足跡を振り返ることは、医療の本質とは何かという問いと向き合うことでもあります。

看護の日

5月12日は、看護の日です。ナイチンゲール・デーや国際看護師の日と同じく5月12日に設けられているこの記念日は、日本独自の経緯で生まれました。

1990年8月、文化人や学識者たちによって結成された「看護の日の制定を願う会」が厚生大臣に要望書を提出し、同年12月に厚生省(現・厚生労働省)が5月12日を「看護の日」と定めました。翌1991年には「看護の日制定を願う会」が一般社団法人日本記念日協会の記念日として正式に制定し、同協会に認定・登録されています。「看護する心、助け合いの心を広く知ってもらい、育んでもらう」ことが、この記念日の根本にある目的です。

当時の日本は看護師不足が深刻な社会問題となっていました。高齢化が進む中で、医療・介護の現場を担う人材が圧倒的に足りていなかったのです。「看護の日」の制定には、職業としての看護の魅力を社会に伝え、志望者を増やしたいという切実な背景がありました。記念日はひとつのメッセージを社会に送る装置でもあります。

看護の日には全国各地で病院見学会や医療体験イベントが開催され、血圧測定や手洗い指導など、看護の仕事を体験できる機会が設けられます。小学生や中学生が病院を訪れ、看護師の仕事に触れる行事も各地で定着しています。将来の進路としてではなくても、日ごろ見えにくい医療の現場を少し身近に感じてみる一日として、今日という日を活かせます。

海上保安の日

5月12日は、海上保安の日です。四方を海に囲まれた日本において、海の安全を守る組織の歩みを振り返る日です。

この記念日を制定したのは海上保安庁です。1948年5月1日、海上保安庁は運輸省(現・国土交通省)の外局として発足しました。その12日後、初代長官・大久保武雄の手によって庁舎屋上にコンパス・マークの庁旗が掲揚されました。海上保安庁はこの5月12日を「開庁記念日」として制定し、2000年からは「海上保安の日」に改称されています。創設当初の組織はアメリカの沿岸警備隊、いわゆるコーストガードをモデルとして設立されました。

海上保安庁の任務は海難救助、海上の交通安全確保、防災、環境保全など多岐にわたります。「海の警察」という表現がなされることもありますが、その実態は警察機能にとどまらず、灯台の管理から海洋調査まで担う総合的な海事機関です。日本の排他的経済水域は国土面積の約12倍に相当する広大なものであり、その広大な海域をパトロールし続けています。

年間に海上保安庁が対応する海難事故は数千件に上り、救助された人員は毎年数千人規模です。荒天時でも出動するその仕事の厳しさは、陸上にいる私たちにはなかなか想像しにくいものがあります。船舶の行き交う東京湾や瀬戸内海、あるいは太平洋の外洋で、今この瞬間も巡視船の乗組員が海の安全を守り続けています。海に出かける機会があるとき、あるいは港を眺めるとき、その向こうに広がる仕事に思いを巡らせてみてください。

民生委員・児童委員の日

5月12日は、民生委員・児童委員の日です。地域の中でひっそりと、しかし確実に人々の暮らしを支え続ける存在について知る日です。

この記念日は、東京都千代田区に事務局を置く全国民生委員児童委員連合会が1977年に制定し、一般社団法人日本記念日協会にも認定・登録されています。日付の由来は1917年のこの日、現在の民生委員制度の前身にあたる岡山県の「済世顧問制度」が創設されたことにちなみます。地域の貧しい人々の相談に乗り、貧困に陥ることを未然に防ぐという防貧制度で、ドイツの制度を参考にして作られました。全国民生委員児童委員連合会ではこの日から1週間を「活動強化週間」と定めています。

民生委員・児童委員という名称を聞いたことがあっても、具体的に何をしている人なのかを知っている人は意外に少ないかもしれません。民生委員は厚生労働大臣から委嘱を受けたボランティアで、高齢者や障害者、子育て中の家庭など、支援を必要とする地域住民の相談に応じ、必要な行政サービスへとつなぐ橋渡し役です。全国に約23万人が活動しており、原則として給与は支払われません。

児童委員は民生委員が兼任する形で、子どもと家庭に関する問題を専門に担当します。また「主任児童委員」という子ども専任のポストも設けられています。近年は子どもの貧困や虐待への対応が重要課題となる中、その役割はますます重くなっています。あなたの住む地域にも必ず民生委員・児童委員がいます。困ったときに相談できる地域の窓口として、この機会に覚えておいていただければと思います。

アセロラの日(アセローラの日)

5月12日は、アセロラの日です。南国の太陽をそのまま閉じ込めたような鮮やかな赤色の果実が、沖縄から全国へと広がっていった物語があります。

この記念日を制定したのは、沖縄県国頭郡本部町(もとぶちょう)の町役場、商工会、観光協会、熱帯果樹研究会などが結成した「アセローラの日」制定委員会です。1999年に制定され、一般社団法人日本記念日協会に「アセローラの日」の名称で認定・登録されています。日付はアセロラの初収穫の時期にあたることから5月12日とされました。本部町はアセロラ国内生産の草分けの地として知られており、この果物への愛着と地域振興への思いが記念日制定の背景にあります。

アセロラはキントラノオ科の植物で、西インド諸島や熱帯アメリカを原産とする果物です。日本には1958年に沖縄県に導入されました。温暖な気候と土壌に恵まれた沖縄は栽培に適した環境であり、以来アセロラ産地として定着しています。この果物が広く知られるようになったきっかけのひとつは、ビタミンCの含有量の多さです。100グラムあたりのビタミンC含有量はレモンの約10倍から17倍にのぼるとされ、「ビタミンCの王様」と呼ばれることもあります。

本部町では記念日に合わせて町役場や商工会を中心にイベントが開催されます。アセロラジュースやアセロラを使ったスイーツなど、加工品の種類も豊富で、本部町を訪れる観光客にとって定番のお土産となっています。初夏の陽気に包まれた5月12日に、アセロラジュースの一杯を口にしてみてはいかがでしょうか。南国の風が、少しだけ身近に感じられるかもしれません。

ザリガニの日

5月12日は、ザリガニの日です。子どものころ、田んぼのわきや公園の池でザリガニ釣りに夢中になった記憶を持つ人は少なくないでしょう。あの赤いザリガニが日本にやってきた日が、5月12日なのです。

1927年のこの日、神奈川県の養殖業者によって、アメリカ・ニューオーリンズからアメリカザリガニが日本に持ち込まれました。目的は食用ガエル(ウシガエル)の餌として使うためでした。持ち込まれた先は鎌倉食用蛙養殖場(現・岩瀬下関防災公園)です。アメリカから出荷された時点では100匹いたとされますが、日本に無事到着したのはわずか20匹でした。この20匹が、後に日本全土へと広がる外来種の始まりです。記念日の制定者については、zatsuneta.comには明記されていません。

養殖池から逃げ出したアメリカザリガニは、その後爆発的に繁殖しました。1960年ごろには九州でも確認されるようになり、現在では沖縄を含む日本全国に生息し、国内で最もよく見かけるザリガニとなっています。繁殖力の強さと環境への適応力の高さから、在来の水生生物や水草への影響が指摘されており、現在は「条件付特定外来生物」に指定されています。

ザリガニ釣りは日本の夏の原風景のひとつですが、釣り上げたザリガニを別の場所に放流することは生態系への悪影響をもたらすとして禁じられています。楽しんだあとは適切に処理することが求められています。子どもと一緒にザリガニ釣りを楽しむ機会があるなら、生き物と自然環境の関係について話し合う良い入り口にもなるでしょう。

永平寺胡麻豆腐の日

5月12日は、永平寺胡麻豆腐の日です。精進料理の世界で「もてなしの心の象徴」と呼ばれるごま豆腐が、今日のテーマのひとつです。

この記念日を制定したのは、1888年(明治21年)創業、大本山永平寺御用達として福井県永平寺町でごま豆腐を作り続けている株式会社團助(だんすけ)です。日付は「ごま(5)どうふ(12)」と読む語呂合わせから。2017年に一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されました。ごま豆腐の美味しさと魅力をより多くの人に知ってもらうことが目的です。

永平寺は、鎌倉時代に道元禅師が開いた曹洞宗の大本山です。道元禅師は修行生活における食事を非常に重視し、食事の支度や後片付けを含めた食に関わるすべての行為を、坐禅や読経と同等の修行と位置づけました。修行僧にとって重要なタンパク源であるごまは、精進料理のさまざまな場面で活用されており、その中でもごま豆腐は「手間を惜しまないもてなしの心の象徴」とされてきました。

ごま豆腐は大豆を使った一般的な豆腐とは製法が異なり、すりつぶしたごまと葛粉(くずこ)を合わせて練り上げたものです。独特のなめらかさと深いごまの風味が特徴で、そのまま食べても、わさびや醤油を添えても美味しくいただけます。140年近い歴史を持つ株式会社團助のごま豆腐は、永平寺参拝の際の土産物としても広く知られています。今日は普段の食卓に、この静かな味わいの一品を加えてみてはいかがでしょうか。

こてっちゃんの日

5月12日は、こてっちゃんの日です。炒めるだけで食卓が豊かになる、あの牛モツ炒めがフライパンの上でじゅうじゅうと音を立てる日です。

この記念日を制定したのは、エスフーズ株式会社です。「こ(5)て(1)つ(2)」という語呂合わせから5月12日に定められ、2018年に一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されました。同社の代表的な商品「こてっちゃん」を、さらに多くの人に知ってもらうことが目的です。

「こてっちゃん」は、フライパンひとつで手軽に本格的な牛モツ炒めが楽しめる惣菜として、1975年ごろから全国に浸透してきた商品です。モツ料理はもともと焼き肉店や専門店で食べるものというイメージが強く、家庭で手軽に作るのは難しいとされていました。下処理に手間がかかり、独特のにおいへの対処も必要だったからです。「こてっちゃん」はそのハードルを一気に下げ、袋から出してフライパンで炒めるだけという手軽さを実現しました。

コク味噌味、にんにく塩味、旨辛コチジャン味など複数のバリエーションが揃い、それぞれに異なる風味の奥深さがあります。ご飯との相性が抜群であることに加え、キャベツやもやしといった野菜をたっぷり加えて炒めれば、一品で満足感の高い食事になります。今夜の夕食に、フライパンいっぱいの「こてっちゃん」を炒めてみてはいかがでしょうか。

旅行の友の日

5月12日は、旅行の友の日です。旅先でふりかけをご飯にかける。その何気ない行為の中に、100年以上の歴史と、ある夫婦の物語が込められています。

この記念日を制定したのは、田中食品株式会社です。1901年(明治34年)創業の同社が手がける「旅行の友」は、「ふりかけ」という言葉が広まるよりも前から存在してきた、日本のふりかけの老舗ブランドのひとつです。日付の由来は創業者・田中保太郎氏とともに苦労を重ねた妻・田中トモ氏の誕生日、1888年(明治21年)5月12日にちなんでいます。「旅行の友」という商品名には、妻トモ氏への感謝と敬意が込められているのです。記念日は2025年に一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されました。

ふりかけという食品の誕生については、熊本県の薬剤師・吉丸末吉が魚の骨を粉末にして栄養補給を目的に作ったのが始まりとする説が広く知られています。「旅行の友」はそのような時代の流れの中で生まれ、旅先での食事を美味しくする携帯食として愛されてきました。名前のとおり旅の「お伴」として機能してきたわけですが、今では旅行の場面だけでなく、毎日の食卓に欠かせないものとなっています。

田中食品株式会社は現在も広島を拠点に、年商約60億円規模の企業として事業を続けています。2025年の記念日登録証授与式は広島市のリーガロイヤルホテル広島で行われました。今日は旅行の準備をするときでも、いつものご飯のときでも、ふりかけの小さな袋の向こう側にある長い歴史と、名前に刻まれた夫婦の物語に、少しだけ思いを巡らせてみてください。 

 

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MIWAの「U9 LA.CY(GD) RMK」へシリンダー交換

MIWAの「U9 LA.CY(GD) RMK」へシリンダー交換

MIWAの「U9 LA.CY(GD) RMK」へシリンダー交換

【ご依頼内容:入居前に鍵を新しくして安心して貸し出したい】

マンションのオーナーで、これまで自分で使っていた部屋を今後は賃貸に出す予定。

入居前に鍵を新しくしておきたいのと、玄関と共用部のオートロックを1本の鍵で使える状態も引き続き維持したい。

【施工内容:MIWAの「U9 LA.CY(GD) RMK」へシリンダー交換】

オートロック連動タイプの場合、現地で在庫対応できるケースは少なく、今回も初回訪問時に仕様を確認したうえで対応シリンダーを手配し、後日改めて交換作業を実施しました。

取り付けたのはMIWAの「U9 LA.CY(GD) RMK」で、RMKとは連動キー仕様を示す型番記号です。

これにより、従来通り1本のキーで玄関扉と共用部オートロックの両方を操作できる状態を維持しています。

錠前のタイプはLAで、シリンダー交換の作業性が高い仕様のため、部品が揃えば交換自体は短時間で完結します。

賃貸転用前の鍵交換は、前の入居者(ご自身を含む)が持つ鍵を無効化する意味でも重要です。

同じMIWAのU9シリンダーであっても、シリンダーごと交換することで鍵番号が変わり、旧キーでは開錠できなくなりますので、入居前のタイミングで必ず実施されることをおすすめします。

【お客様の声】

新しくなって気持ちいいですね。これで安心して貸し出せます。

 

#台東 #台東区
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『2026年5月11日は何の日?』

本日の #5月11日 は #日本 では #何の日 かをまとめてみました。

長良川鵜飼い開きの日

5月11日は、長良川鵜飼い開きの日です。初夏の岐阜を代表する風物詩、鵜飼いの季節がこの日に幕を開けます。

長良川の鵜飼いは、毎年5月11日から10月15日までの約5ヶ月間にわたって行われます。かがり火が川面を照らし、鵜匠が鵜を巧みに操る姿は、1300年以上の歴史を持つと伝えられる日本の伝統漁法です。この鵜飼いの特筆すべき点は、日本で唯一、皇室御用の鵜飼いであるという事実です。長良川の鵜匠たちは正式名称を「宮内庁式部職鵜匠」といい、宮内庁の職員、つまり国家公務員として任命されています。民間の漁師でも観光業者でもなく、国の公務員が伝統漁法を守り継いでいるというのは、他に類を見ない稀有な制度といえます。

宮内庁の御料場で年8回行われる「御料鵜飼」では、獲れた鮎が皇居へ献上されるほか、明治神宮や伊勢神宮へも奉納されます。古代から連綿と続く奉納の習わしが、今日もなお現役で生きているわけです。鵜飼い開きを告げる5月11日という日付に、制定者や制定団体が特別に定まっているわけではありません。長い歴史の中で自然発生的に定着してきた慣習として、この日が「始まりの日」として認識されてきました。

鵜は「ウミウ」が使われ、鵜匠と鵜は長い年月をかけて信頼関係を築きます。一羽の鵜が現役で働けるのは10年前後ともいわれ、鵜匠は鵜の体調を毎日丁寧に確認しながら付き合っていきます。人と鳥が力を合わせて漁をするというこの関係性は、単なる技術や道具の話ではなく、生き物同士の深い絆の話でもあります。

今日この記念日には、ぜひ岐阜・長良川への旅を思い描いてみてください。夜の川に揺れるかがり火、暗闇の中を泳ぐ鵜の姿、そして鵜匠の低く鋭い掛け声。その場にいるだけで、時間の流れが変わるような体験が待っています。ゴールデンウィーク明けのこの季節、日本の原風景を感じる旅先として、長良川は静かに幕を開けています。

ご当地キャラの日

5月11日は、ご当地キャラの日です。全国各地で生まれ、地域を元気にしてきたご当地キャラクターたちに、今日はあらためてスポットライトが当たります。

この記念日を制定したのは、滋賀県彦根市に本部を置く一般社団法人・日本ご当地キャラクター協会です。2014年(平成26年)に制定され、一般社団法人・日本記念日協会によって認定・登録されました。日付の由来は「ご(5)とう(10)ち(1)」という語呂合わせ。地域の活性化を目指し、各地のご当地キャラクター同士の連携を深め、それぞれのローカルキャラクターを全国に発信することが目的とされています。

ご当地キャラクターという文化が日本全土に広まったのは、2000年代後半から2010年代にかけてのことです。その火付け役のひとつとなったのが、熊本県の「くまモン」であることは広く知られています。もともとは九州新幹線の全線開業をPRするために生まれたキャラクターでしたが、その愛らしい風貌と絶妙な「ゆるさ」が全国的な人気を獲得し、ご当地キャラクターブームの象徴的存在となりました。

2013年1月27日には、全国各地のご当地キャラクターが長崎県佐世保市のハウステンボスに集まり、100体以上のキャラクターがリズムに合わせて5分間以上ダンスするというギネス世界記録に挑戦し、「世界最大のマスコットダンス」として認定されています。ご当地キャラが単なるゆるいマスコットではなく、地域の誇りをかけた真剣な文化発信の担い手であることを示す出来事でした。

ご当地スーパーで地元の食品を買い、ご当地キャラのグッズを手にする。一見ささやかに見えるその行動が、地域経済を回し、土地の文化を守る力になります。今日はお気に入りのご当地キャラを思い浮かべながら、その背景にある地域の物語を少し調べてみるのもいいかもしれません。

エベレスト日本人初登頂記念日

5月11日は、エベレスト日本人初登頂記念日です。56年前のこの日、日本人が初めて世界の頂点に立ちました。

1970年(昭和45年)5月11日、登山家・松浦輝夫と冒険家・植村直己が、標高8848メートルの世界最高峰エベレストへの登頂に日本人として初めて成功しました。この記念日は、両名の偉業を後世に伝えることを目的として、2020年(令和2年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。登頂から50周年の節目に合わせた制定です。

人類が初めてエベレストに立ったのは1953年5月29日、ニュージーランド出身の登山家エドモンド・ヒラリーとネパール出身のシェルパ、テンジン・ノルゲイによる登頂でした。それから17年後に日本山岳会エベレスト登山隊の2人が頂に立ったのです。1970年といえば、ちょうど大阪で日本万国博覧会が開催されていた年。高度経済成長の熱気が日本中を包んでいたその年に飛び込んできた登頂成功の知らせは、多くの人々の記憶に鮮明に刻まれました。万博という未来への期待と、世界最高峰への挑戦が重なった年として、1970年は日本の挑戦の歴史を語る上で欠かせない年となっています。

さらに翌1975年5月16日には、登山家・田部井淳子が女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功し、日本はエベレスト登山史において幾つかの重要なページを刻むことになりました。植村直己はその後も北極点単独到達などの冒険を続け、1984年の北米最高峰マッキンリー(現・デナリ)冬季単独登頂に成功した後、消息を絶ちました。その生き方そのものが、一つの伝説として語り継がれています。

頂点を目指すことの意味は、時代によって変わります。けれど、人間が限界の先に何かを見ようとする衝動は普遍的なものです。今日は1970年のあの朝、雲の上に立った2人のことを、少しだけ想像してみてください。

ご当地スーパーの日

5月11日は、ご当地スーパーの日です。チェーンの画一化が進む中で、地域に根ざした個性豊かなスーパーマーケットの価値を見直す日です。

この記念日を制定したのは、東京都中央区銀座に本部を置く一般社団法人・全国ご当地スーパー協会です。2021年(令和3年)に一般社団法人・日本記念日協会によって認定・登録されました。日付は「ご(5)とう(10)ち(1)」という語呂合わせで、ご当地キャラの日と同じ数字の読み方から生まれています。地元色豊かなローカルスーパーの魅力を、より多くの人に再認識してもらうことが目的とされています。

ご当地スーパーの魅力は、その土地に行かなければ出会えない商品棚にあります。地元の漁港から届く鮮魚、地域の農家が丹精込めた野菜、その土地でしか作られていない調味料や菓子。全国どこでも同じ商品が並ぶ大手チェーンにはない、「ここでしか買えない」という体験が凝縮されているのがご当地スーパーです。旅行者がわざわざ立ち寄り、地元の人が誇りを持って通う。そういうスーパーが日本各地に存在しています。

全国ご当地スーパー協会では、ご当地スーパーファンが選ぶ「ご当地スーパーグランプリ」の開催や、ご当地スーパー入門講座の実施など、多角的な活動を展開しています。ご当地スーパーバスツアーという企画もあり、食を通じた地域への関心が着実に広がっています。

今日は近所のスーパーで、少し視点を変えて棚を眺めてみてください。地元のメーカーが作った商品、地域限定のフレーバー、見慣れていてもあらためて考えると「これってここだけのものかもしれない」と気づくものが必ずあるはずです。ご当地スーパーの価値とは、そういう気づきを毎日の買い物の中に宿らせてくれることにあります。

みんなでたべよう「おろしそば」の日

5月11日は、みんなでたべよう「おろしそば」の日です。福井が誇るソウルフードが、全国の食卓に届くことを願って制定された記念日です。

この記念日の制定に至る経緯はユニークです。福井のおろしそばを製造・販売する企業が、2024年(令和6年)5月11日に「おろしそば」によるギネス世界記録への挑戦を行い、8時間以内に販売されたそばの最多食数として4013杯で認定されたことから、この日付が記念日として設けられました。記念日の制定者については、zatsuneta.comの記載に基づくと福井県内のそば関連企業による取り組みとして紹介されています。

おろしそばとは、水でしめた冷たい麺に大根おろし、削り節、ネギなどをのせて食べる福井県の代表的な郷土料理です。越前地方に古くから伝わるスタイルで、「越前おろしそば」の名で親しまれてきました。その特徴はそばそのものの力強さにあります。越前そばならではのコシの強い麺と、辛味大根おろしの組み合わせは、さっぱりとしながらも食べ応えがあり、一度食べると忘れられない個性を持っています。2007年12月には「越前おろしそば」が農山漁村の郷土料理百選の一つに選定されており、その文化的価値も国から認められています。

福井のそば文化は、越前和紙や越前漆器と並ぶ地域の誇りです。北陸の冬の厳しさを乗り越えてきた人々が育んだ食文化には、素材を活かすシンプルな美学があります。おろしそばの場合、引き算の潔さがその魅力の核心にあります。余分なものをそぎ落とし、そばと大根おろしという組み合わせに集中する。その潔さが、食べる人の舌に正直に伝わります。

今日の昼食や夕食に、おろしそばを取り入れてみてはいかがでしょうか。市販の十割そばや細打ちそばを茹で、大根おろしと削り節をたっぷりのせ、めんつゆをかけるだけで、福井の郷土料理の雰囲気を手軽に楽しめます。辛味大根が手に入れば、より本格的な味わいに近づきます。

朔太郎忌

5月11日は、朔太郎忌です。「日本近代詩の父」と称される詩人・萩原朔太郎が、1942年(昭和17年)のこの日に世を去りました。享年55歳でした。

萩原朔太郎は1886年(明治19年)11月1日、現在の群馬県前橋市に生まれました。開業医の父・密蔵のもとで育ちましたが、学業には縁が薄く、慶應義塾大学予科を中退するなど、若き日の挫折は一度や二度ではありませんでした。しかしその鬱屈した内面と、病的なまでの感受性は、詩という形式を得たとき、時代を超える輝きを放ちはじめます。北原白秋門下として詩作を始め、室生犀星との友情を深める中で、1916年に詩雑誌「感情」を創刊。その翌1917年(大正6年)に発表した第一詩集「月に吠える」は、発売直後から詩壇・文壇に激賞されました。

「月に吠える」が日本の詩の歴史に果たした役割は、一言でいえば「口語自由詩の確立」です。それまでの詩が文語体を中心に組み立てられていたのに対し、朔太郎は日常の言葉、つまり口語をそのまま詩の言葉として使うことを徹底しました。官能的な神経の戦慄と近代的な孤独を、音楽性に富む口語表現でうたったその詩集は、文学の新しい地平を切り拓くものでした。続く「青猫」(1923年)、「純情小曲集」(1925年)、そして漢語調を多用して詩風を一変させた「氷島」(1934年)と、朔太郎の詩はつねに進化し続けました。

晩年は伝統文化への関心を深め、「日本への回帰」(1938年)など評論活動も活発でした。しかし体調は次第に悪化し、1942年4月末に明治大学の講師職を辞任。同年5月11日、急性肺炎により東京・世田谷の自宅で息を引き取りました。墓所は故郷・前橋市田口町の政淳寺にあり、毎年5月の朔太郎忌には前橋文学館が関連イベントを催しています。

詩を残すことは、自分の感情を時間の外に置くことです。朔太郎が55年間の生涯で刻んだ言葉は、80年以上が経った今も読まれ続けています。孤独と音楽と詩。その三つが交差する場所に、朔太郎という詩人はいました。

たかし忌

5月11日は、たかし忌です。昭和の俳壇に高雅な句風で名を刻んだ俳人・松本たかしが、1956年(昭和31年)のこの日に逝きました。享年50歳でした。

松本たかしは1906年(明治39年)1月5日、東京に生まれました。父は宝生流の能楽師・松本長(ながし)という能楽の家に育ち、9歳で初舞台を踏むなど幼い頃から芸の世界に身を置いていました。しかし、病弱という壁が能楽師への道を閉ざします。1926年頃に能を断念した後、たかしが向かったのが俳句の世界でした。高浜虚子に師事し、1929年(昭和4年)に「ホトトギス」の同人となります。

能の世界で培われた美意識と身体感覚は、たかしの句に独特の品格をもたらしました。「チヽポヽと鼓打たうよ花月夜」という句には、能舞台の空気そのものが漂っています。「春月の病めるが如く黄なるかな」「海中に都ありとぞ鯖火燃ゆ」「夢に舞ふ能美しや冬籠」など、代表句のどれもが、視覚と聴覚と記憶が溶け合うような感覚的な世界を作り出しています。「ホトトギス」では川端茅舎、中村草田男らと並び称された俳人として、その地位は揺るぎないものでした。

1946年(昭和21年)には俳誌「笛」を創刊・主宰し、後進の育成にも力を注ぎます。1954年(昭和29年)には第四句集「石魂」で読売文学賞(詩歌俳句賞)を受賞。受賞からわずか2年後、心臓麻痺により杉並区久我山の自宅で逝去しました。没後も「松本たかし句集」(角川書店)や「たかし全集」(全4巻)などが刊行され、その作品世界は受け継がれています。

能から俳句へ。たかしの転身は挫折ではなく、美の探求の継続でした。芸の道で磨いた感性は、17音の小宇宙に形を変えて、今も静かに生き続けています。

梶葉忌

5月11日は、梶葉忌です。昭和の大衆小説を牽引した作家・梶山季之が、1975年(昭和50年)のこの日、取材の途中に命を落としました。45歳という若さでした。

梶山季之は1930年(昭和5年)1月2日、父が朝鮮総督府に勤務していたため、朝鮮の京城(現・ソウル)で生まれました。広島高等師範学校(現・広島大学)国語科を卒業後、上京して「週刊文春」で巻頭を飾る記事を書く「トップ屋」として頭角を現します。1962年(昭和37年)に産業スパイの非情さを描いた「黒の試走車」で文壇にデビューし、「産業スパイ」という言葉を世間に広めました。翌年の「李朝残影」では直木賞候補となり、1969年には作家所得番付の一位にもなるなど、昭和の文壇で最も多産で読まれた作家の一人として時代を駆け抜けました。

忌日の名前「梶葉忌(かじのはき)」は、僧侶・小説家の今東光が命名した戒名に由来しています。正式な戒名は「文麗院梶葉浄心大居士」。その名を忌日に用いたのは、生前から梶山を親しく慕っていた文学仲間たちの、深い敬意と惜別の情の表れでした。

梶山の死は劇的なものでした。ライフワークとして取り組んでいた長編小説「積乱雲」の取材のために訪れた香港のホテルで突然吐血し、食道静脈瘤破裂と肝硬変により急逝。棺には愛飲していたサントリーオールド、原稿用紙とモンブランの万年筆、そして「李朝残影」が納められたと伝えられています。ペンを手放さぬまま旅立った作家の死を、人は「最後の行動派作家の特攻的戦死」と評しました。

朝鮮、移民、原爆。梶山が生涯かけて向き合ったテーマは、20世紀の日本と東アジアが抱えた深い問いそのものでした。書き続けることをやめなかった一人の書き手が、今日も静かに偲ばれています。

愛鳥週間(5月10日〜16日)

5月11日は、愛鳥週間(バードウィーク)の期間中です。野鳥への関心を高め、自然環境の大切さを考えるこの週間は、毎年5月10日から16日までの1週間にわたって設けられています。

愛鳥週間の歴史をたどると、その起源はアメリカにあります。1894年(明治27年)、ペンシルバニア州の教育長バブコックが5月4日を「バードデー」に制定したのが始まりでした。日本ではその後、1947年(昭和22年)にアメリカ人の鳥類学者オリバー・L・オースチン博士の提唱によって4月10日が「愛鳥の日」に制定されます。しかし、4月10日では北の地方にまだ雪が残り、冬鳥が多い時期であることから、後に5月10日へと変更されました。さらに1950年(昭和25年)からは、5月10日から16日の1週間が環境庁(現・環境省)によって「愛鳥週間」として制定されています。

5月は野鳥の活動がもっとも活発になる季節です。繁殖期を迎えた鳥たちが鳴き声を上げ、木々の葉が茂る前のわずかな時間に姿を見せてくれる。バードウォッチングを楽しむ人々にとっては、一年でもっとも充実した時期のひとつです。愛鳥週間は、そうした野鳥を通して、鳥を取り巻く環境、すなわち森や川や海の自然保護の大切さを知り、広めていくことを目的としています。

都市に暮らしていると、野鳥との接点は限られているように感じるかもしれません。しかし耳を澄ませれば、公園の木立から鳴き声が聞こえてきます。スズメ、ムクドリ、ヒヨドリ、シジュウカラ。名前を知ると、聞こえてくる声が急に豊かなものに変わります。今週は一度、立ち止まって耳を傾けてみてください。鳥の声は、自然が今も生きていることを告げる、もっとも身近なサインです。 

 

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玄関錠をLIXILの「Z-1A1-DHYD」へ交換

玄関錠をLIXILの「Z-1A1-DHYD」へ交換

玄関錠をLIXILの「Z-1A1-DHYD」へ交換

【ご依頼内容:引っかかりが出てきた鍵を早めに交換したい】

このまま使い続けるのが不安になってきました。家族皆が毎日使うので、完全に壊れる前に交換しておきたいです。
扉の見た目に合うものにしてほしいです。

【施工内容:玄関錠をLIXILの「Z-1A1-DHYD」へ交換】

現地で扉厚と取付寸法、既存部品の状態を確認し、LIXILの「Z-1A1-DHYD」が適合することを確認のうえご提案しました。

既存のシリンダーを取り外す際、内部に蓄積した汚れや埃もあわせて清掃してから新しい部品を設置しています。

鍵の「引っかかり」「回しづらさ」といった症状は、シリンダー内部の摩耗が進んでいるサインです。

鍵は見た目に問題がなくても、使い心地の変化を感じたら早めに点検・交換をご検討いただくことをおすすめします。

今回のように本格的な故障前にご相談いただくと、部品選定の選択肢も広がり、結果として費用負担の軽減にもつながります。

【お客様の声】

前より軽く回せるようになって安心しました。見た目も扉に馴染んでいて違和感がなくて良かったです。壊れてからでなく、早めに交換しておいて正解でした。 

 

#墨田 #墨田区
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『2026年5月10日は何の日?』

#5月10日 は #日本 では #何の日 かをまとめてみました。

母の日

5月10日は、母の日です。毎年5月の第2日曜日にあたるこの日、2026年はちょうど10日が日曜日と重なりました。カーネーションを手に花屋に列ができ、宅配業者が慌ただしく動き、レストランが予約でふさがる——日本の5月の風物詩として、もはや揺るぎなく定着した一日です。

母の日の起源は、19世紀末のアメリカにさかのぼります。1907年5月12日、ウェストバージニア州グラフトンに住むアンナ・ジャービスという女性が、亡き母親を偲んで教会で追悼会を開き、母が愛した白いカーネーションを参列者に配りました。翌1908年5月10日、同じ教会に470人もの生徒と母親たちが集まり、正式な「母の日」として祝われたのが始まりとされています。アンナの行動に感動した人々がその趣旨を広め、1914年にはアメリカの国民的記念日として、5月の第2日曜日と定められました。

日本に母の日が伝わったのは大正時代のことで、当初はキリスト教系の団体が中心となって広めていました。昭和に入り、明治天皇の皇后・昭憲皇太后の誕生日である3月6日を「母の日」として推進する動きもありましたが、戦後にアメリカ式の5月第2日曜日が定着していきます。今日のように花や贈り物がセットになった「商業的な母の日」の形を作ったのは、ギフト業界と花卉業界が手を携えてPRを続けてきた長年の歴史があってこそです。

カーネーションが母の日の花になった理由には、アンナが母の好きな花として白いカーネーションを選んだことに由来します。その後、母が存命中は赤いカーネーション、亡くなっている場合は白いカーネーションを贈る習慣が生まれました。現在の日本ではその区別はほとんど失われ、鮮やかな赤やピンクのカーネーションが主流となっています。なお、制定者という概念が当てはまらない記念日であり、自然発生的な文化として社会全体に根付いたものです。

今日の母の日、改まった言葉はなかなか照れくさいという人も多いかもしれません。でも、食卓を一緒に囲む、電話を一本かける——それだけで十分伝わるものがあります。カーネーション一輪でも、今夜の夕食の席でさりげなく渡してみてはいかがでしょうか。

リプトンの日

5月10日は、リプトンの日です。日本でも知らない人はいないといっていい紅茶ブランドの名前が、実はこの日付と深い縁で結ばれています。

リプトンの生みの親、トーマス・ジョンストン・リプトンは1850年5月10日、スコットランドのグラスゴーに生まれました。アイルランド系の貧しい家庭に育った彼は、15歳でアメリカへ渡り、ニューヨークの食料品店で働きながら商才を磨きます。帰国後の1871年5月10日、21歳の誕生日に、グラスゴーに食料品店「リプトン・マーケット」の第1号店を開業しました。つまり、この日はリプトンの誕生日であり、創業記念日でもあるのです。

この記念日を制定したのは、リプトン・ティーアンドインフュージョン・ジャパン・サービス株式会社で、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。「上質な紅茶を楽しみながら、大切な人と豊かな時間を過ごしてほしい」という願いが込められています。

トーマス・リプトンが紅茶に本格参入したのは1890年代のこと。当時、紅茶はイギリスでも高級品であり、庶民には手が届きにくいものでした。リプトンはセイロン(現スリランカ)の茶園を次々と買収し、生産から流通・販売まで一貫して手がけることで、品質を落とさずに価格を下げることに成功します。「From the Tea Garden to the Tea Pot(茶園から急須へ直接)」というコピーは、その革命的なビジネスモデルを端的に表していました。彼は紅茶を庶民の飲み物に変えた人物として、今なおその名が語り継がれています。

イギリスの紅茶文化というと「アフタヌーンティー」の優雅なイメージが先行しますが、リプトンが果たした役割は実はその真逆——格式を取り払い、日常の中に紅茶を届けることでした。今日の昼下がり、いつものティーバッグで一杯いれながら、そんな男の話に思いを馳せてみるのも悪くありません。

地質の日

5月10日は、地質の日です。私たちが毎日踏みしめている「大地」が、実はどれほどの歴史と情報を秘めているか——この記念日はそれを問い直す機会として設けられています。

1876年(明治9年)の5月10日、アメリカ人地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンらが、日本初の広域的な地質図「日本蝦夷地質要略之図」(200万分の1)を作成し、明治政府の開拓使から発行されました。さらに1878年(明治11年)の同じ日に、地質の調査を専門に扱う組織として内務省地理局地質課が設置されています。この二つの歴史的な出来事が重なる日であることから、地質の日は5月10日に定められました。一般社団法人日本記念日協会によって認定・登録され、毎年この時期に全国の博物館や大学・研究機関でイベントが開催されています。

「地質」という言葉は専門的に聞こえますが、地面の下の岩石や地層の性質・種類・状態のことを指します。私たちの生活は、エネルギー資源の採掘、トンネルや橋の建設、温泉の湧出メカニズム、そして地震や火山の予測まで、あらゆる場面で地質学の知見に支えられています。にもかかわらず、その重要性はほとんど日常の意識にのぼることがありません。この記念日は、文字通り「足元を見つめ直す」ための日でもあります。

日本列島は、プレートが複雑に交わる位置に存在するため、地質的には世界でも指折りの多様な地層を持っています。1億年以上前の岩石が地表に露出している地域もあれば、数千年前の火山噴出物が厚く積み重なっている場所もある。新幹線や高速道路を建設するたびに新たな地層の断面が現れ、研究者たちが夢中になって調査を行うのはそのためです。身近なところでは、公園の岩肌や河原の石ころも、見方を変えれば数千万年の歴史を語る「証言者」です。

今日はぜひ、近くの博物館や科学館に立ち寄ってみてください。地質の日に合わせた特別展示を行っている施設も少なくありません。あるいは、近所の公園で拾った石を一つじっくり眺めてみるだけでも、その奥に広がる時間の深さが少しだけ感じられるかもしれません。

街区表示板の日

5月10日は、街区表示板の日です。まちを歩いているとき、電柱や建物の壁に細長い青いプレートが貼られているのを目にしたことはないでしょうか。「○○町○丁目」と記されたあの標識が「街区表示板」です。

1962年(昭和37年)の5月10日、「住居表示に関する法律」が施行されました。この日を記念して「街区表示板の日」が定められています。制定の経緯については特定の団体ではなく、この法律の施行日そのものが起源となっており、行政的な性格を持つ記念日です。

それまでの日本の住所体系は、旧来の「地番」制度に基づくもので、宅地の分筆や合筆が繰り返されるうちに番号が飛び飛びになったり、隣接する土地でも番地がまったく離れていたりと、非常にわかりにくい状態になっていました。郵便配達員や消防・救急が現場にたどり着くのに手間取るという、生活上の実害も出ていたほどです。そこで、まちを「街区」という単位に区切り直し、建物が建てられた順番に番号を振るという現在の制度が導入されました。

しかし、この法律の施行は決して平坦な道のりではありませんでした。長年慣れ親しんだ地番が変わることへの住民の抵抗は根強く、全国での普及には長い年月がかかっています。今なお、住居表示が実施されていない地域も一定数残っており、地番と住居表示が混在しているエリアも少なくありません。

スマートフォンのナビが当たり前になった現代では、街区表示板の存在意義が薄れているように見えるかもしれません。ところが、緊急時——スマートフォンのバッテリーが切れたとき、電波が届かないとき——に自分の場所を他者に伝える手段として、街区表示板は今もまちの安全インフラとして機能しています。なにげなく視界をかすめていく青いプレートに、今日は少し立ち止まって目を向けてみてください。

黄金糖の日

5月10日は、黄金糖の日です。「黄金(05)糖(10)」という語呂合わせに由来するこの日を制定したのは、大阪市住吉区に本社を置く株式会社黄金糖で、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。

黄金糖の歴史は1919年(大正8年)にさかのぼります。初代・瀬戸口伊勢松が、砂糖と水飴だけで作った金色の飴「金銀糖」を宮崎県都城で売り出したのが始まりでした。その後1923年(大正12年)、大阪府堺市に瀬戸口商店として移り、商品名を「黄金糖」に改め、現在のような四角柱の形に定まりました。100年以上にわたって、香料・着色料を一切使わない製法を守り続けてきたことが、この飴の最大の誇りです。

飴のくせに「香料なし」というのは、実は相当な勇気のいることです。現代の飴市場はフルーツ風味、ミント、抹茶などバリエーションが豊富で、味の方向性を香料で自在に操ることができます。それに対して黄金糖が提供できるのは、砂糖と水飴だけが生み出す素朴な甘さと、わずかに漂う焦げの香りだけ。シンプルさを武器にするためには、原料の質と製法の精度で勝負するほかありません。創業から100年以上、その姿勢が変わらないこと自体が、ひとつの物語です。

四角柱というフォルムも独特です。一般的な飴は丸みを帯びた形が多い中、直線的な稜線を持つ黄金糖は、口の中でころがすとき、ふっと懐かしい手触りがあります。祖父母の家の引き出しから出てきた、という記憶を持つ人も少なくないでしょう。昭和の台所の記憶と結びついているあの飴が、今も大阪から変わらず送り出されています。

今日のおやつに、黄金糖を一粒。添加物の入っていないシンプルな甘さが、あの頃の空気をほんの少し連れてきてくれるはずです。

ファイトの日

5月10日は、ファイトの日です。「5(ファ)10(イト)」という語呂合わせから生まれたこの記念日は、大正製薬株式会社が制定し、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。1962年(昭和37年)に日本初の栄養ドリンクとして「リポビタンD」が発売されてから2012年(平成24年)で50周年を迎えたことを機に制定されました。

「ファイト一発!」というキャッチフレーズとともに浸透したリポビタンDは、発売から60年以上が経った今も、日本のドラッグストアや自動販売機で当然のように並んでいます。主成分のタウリンは含硫アミノ酸の一種で、体内の各組織に広く存在し、疲労の回復や体力の維持に働くとされています。1本100mLの小さなガラス瓶に、タウリン1000mgとビタミンB群などを凝縮した処方は、発売当初からほぼ変わっていません。

「栄養ドリンク」というカテゴリそのものを作ったのがリポビタンDだといっても過言ではありません。昭和30〜40年代の高度経済成長期、工場の夜勤で体を酷使する労働者や、受験勉強に追われる学生たちにとって、この小瓶は文字通り「一発」の支えでした。その後、清涼飲料水タイプの栄養ドリンクが大量に市場に登場しましたが、茶色いガラス瓶というパッケージの原型は今でも変わらず残っています。

現在、リポビタンDはシンガポール、タイ、中国、フィリピン、アメリカ、イギリスなど15か国以上で販売されています。ただし、各国の薬事規制や文化的な事情から、成分や容量が日本版と異なるものも多い。「ファイト一発!」は日本固有のコピーですが、疲れた体に活を入れたいという気持ちは、どの国でも変わらないようです。

今日、もし夕方に疲れを感じたら、ドラッグストアで小瓶を一本手に取ってみてください。ぐっと飲み干す瞬間に、昭和の現場を支えた何百万人もの人たちと、わずかに時代がつながる気がするはずです。

五島の日

5月10日は、五島の日です。「ご(5)とう(10)」という語呂合わせから、長崎県五島列島の五島市と新上五島町が共同で制定し、2013年(平成25年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。五島列島の知名度向上とその魅力のPRを目的としています。

五島列島は、九州の最西端、長崎港から西におよそ100kmの海上に位置します。大小あわせて140余りの島々が弧を描くように連なり、ほぼ全域が西海国立公園に指定されるほど豊かな自然景観を有しています。人口は約7万人。自然海浜や海食崖、複雑に入り組んだリアス海岸が続く地形は、変化に富んでいて見飽きることがありません。

この島が日本史に登場する局面の一つが、中世の遣唐使の時代です。大陸へ向かう船が最後に立ち寄る拠点として、五島は東アジアへの玄関口でした。その後、江戸時代から明治にかけては、隠れキリシタンの歴史と深く結びついています。島の各地に点在するカトリック教会群は、迫害を逃れながら信仰を守り続けた人々の痕跡であり、2018年には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」としてユネスコ世界遺産に登録されました。

食の面では、五島うどんが全国的な知名度を持ちます。椿油を塗りながら手延べされる細麺は、のどごしがなめらかで、地元ではあご(トビウオ)だしのスープとともに食べるのが定番です。新上五島町産のヒラマサやイサキの刺身、五島牛も外せません。

この日を中心に、東京の日本橋長崎館や博多駅などで物産展や試飲会が開かれます。遠方の方でも、「五島の日」をきっかけに五島うどんを取り寄せてみるのはいかがでしょうか。一杯のうどんをすすりながら、玄界灘の先に広がる島々に思いを馳せてみてください。

コンクリート住宅の日

5月10日は、コンクリート住宅の日です。「コ(5)ンクリート(10)」という語呂合わせから、東京都板橋区に事務局を置くRC-Z家の会共同組合が制定し、2010年(平成22年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。特殊FRP型枠を使用した精度の高い鉄筋コンクリート住宅の普及と、その性能・デザインの優位性をアピールすることが目的です。

日本の住宅は木造が圧倒的多数を占めます。ところが鉄筋コンクリート——RC造(Reinforced Concrete)——の住宅には、木造にはない強みがあります。最大の特長は耐震性と耐火性です。コンクリートは圧縮力に強く、鉄筋は引張力に強い。その二つを組み合わせることで、地震の横揺れにも耐えられる粘り強い構造を作り出します。火災においても、コンクリートは燃えないため延焼リスクが格段に低くなります。

さらに、RC造は遮音性の高さという点でも木造に勝ります。厚みのあるコンクリートの壁は外部の騒音を大きく遮断するため、幹線道路沿いや都市部では特にその効果が実感されます。また適切に施工されたRC造住宅の耐用年数は100年以上にのぼるとも言われており、世代を超えて住み継ぐことのできる「ストック型住宅」としての可能性も注目されています。

日本で木造住宅が主流であり続けてきた背景には、気候的・文化的な理由だけでなく、建設コストや施工のしやすさという現実的な事情もあります。コンクリート住宅の普及はゆるやかですが、気候変動や激甚化する地震・台風を前にして、住宅の堅牢さへの関心は確実に高まっています。今日は、自分が暮らす家の「構造」について、ちょっとだけ考えてみる機会にしてみてはいかがでしょう。

五十音図・あいうえおの日

5月10日は、五十音図・あいうえおの日です。5と10を「五十」に当てはめたこの記念日は、石川県加賀市山代温泉に事務局を置く山代温泉観光協会が制定し、2021年(令和3年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。また、5月10日は五十音図の研究で知られる明覚上人の月命日でもあります。

山代温泉(現在の石川県加賀市)は、五十音図発祥の地を自認しています。同地にある薬王院温泉寺の中興の祖・明覚上人が、平安時代後期の1093年に山代温泉において「反音作法」を著し、言葉の音と五十音の配列について記述しました。この時の配列が現在の五十音図の原型に近いものであったことから、山代温泉はその発祥地として「あいうえお」にまつわる文化活動を長年続けてきました。

あ・い・う・え・お——これほど短く、これほど普遍的な配列はほかにないかもしれません。私たちは物心がついた頃から五十音を身につけ、それが当たり前のものとして生活の中に溶け込んでいます。しかし、なぜ「あいうえお」という順番なのか、なぜ50の音に整理されているのか——考えたことはあるでしょうか。

現在の五十音図の形が確立するまでには、平安時代から江戸時代にかけての国学者や仏教学者たちの長い試行錯誤がありました。サンスクリット語の音韻体系から影響を受けつつ、日本語の音の特性を整理しようとした努力の積み重ねが、今私たちが使う「あいうえお」の表を生み出しています。

記念行事として毎年「今年のにほんごコンテスト」が行われており、テーマに沿った「いま伝えたい言葉」を日本語のひと言で募集しています。山代温泉には「あいうえおの郷」モニュメントも建てられています。今日は、普段何気なく使っている「言葉」の成り立ちに少し想像を向けてみてください。あいうえお一文字一文字の背後に、千年近い歴史が静かに息づいています。

こいのわの日

5月10日は、こいのわの日です。「こ(5)い(1)のわ(0)」という語呂合わせから、広島県が制定し、2019年(平成31年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。同県が推進する出会い・結婚支援事業「こいのわPROJECT」の一環として、社会全体で若者の結婚を応援する機運を高めることを目的としています。

「こいのわPROJECT」の合言葉は「みんなでおせっかい」です。結婚したい気持ちはあるが出会いの機会がないという人々に、出会いからデート、プロポーズ、そして結婚まで、それぞれの段階でサポートしていこうというプロジェクトです。都道府県という行政単位が、ここまで踏み込んだかたちで婚活支援に乗り出す姿は、少子化という社会課題の深刻さをそのまま映しています。

日本の婚姻数は長期的な減少傾向にあります。「出会いがない」という理由が結婚しない最大の要因の一つとして挙げられている一方、マッチングアプリや婚活イベントの数は増え続けています。この矛盾の背景には、出会いの「量」より「質」や「タイミング」に対するハードルの高さがあるとも言われています。

行政が「おせっかい」をする、という発想はユニークです。かつての日本社会には、職場の上司や親戚が自然と縁談をつなぐ文化がありましたが、それが薄れていった分、公的なサポートがその役割を担う時代になってきているのかもしれません。

今日は、大切な人の「出会い」について、ちょっとだけ考えてみる日にしてみませんか。あなたの周りに、素敵な縁を待っている人がいたなら——ほんの小さな「おせっかい」が、誰かの人生を大きく動かすきっかけになることがあります。

沖縄黒糖の日

5月10日は、沖縄黒糖の日です。「こ(5)くとう(10)」という語呂合わせから、沖縄県那覇市に事務局を置く沖縄県黒砂糖協同組合が制定し、2024年(令和6年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。沖縄黒糖の良さを広く知ってもらい、食べ、活用してもらうことが目的です。

沖縄黒糖とは、同組合に所属する8つの離島の工場でのみ生産される含みつ糖の一種です。「含みつ糖」とは、さとうきびを搾った汁を精製せずにそのまま煮詰めた砂糖のことで、糖分だけを取り出した白砂糖とは根本的に異なります。沖縄黒糖にはカリウム、カルシウム、鉄分などのミネラル成分が豊富に含まれ、独特の深いコクと香りがあります。

生産されるのは沖縄本島の周辺離島——沖縄、久米島、西表島、波照間島、与那国島、宮古島、多良間島、伊平屋島の8島に限られます。それぞれの島によって気候・土壌・製法に微妙な違いがあるため、産地によって黒糖の味わいや色合いも異なります。波照間島の黒糖は甘みがまろやかで人気が高く、与那国島産はコクが強いと言われています。

黒糖は沖縄の食文化と切り離せない素材です。そのまま食べるおやつとしてはもちろん、煮物の隠し味、黒糖ぜんざい、さーたーあんだぎー(揚げドーナツ)など、島の暮らしの中にごく自然に溶け込んでいます。白砂糖では出せない、深みのある甘さが料理に奥行きを与えます。

今日は沖縄の離島に思いを馳せながら、黒糖を一かけら手に取ってみてください。黒糖ラテにしても、料理にほんの少し加えても、それだけで食卓に南の島の空気が漂ってきます。

金鳥「コンバット」の日

5月10日は、金鳥「コンバット」の日です。「コ(5)ンバット(10)」という語呂合わせと、商品のキャッチフレーズ「巣ごと(510)丸ごと(510)ゴキブリ退治」という二重の語呂合わせを持つ記念日で、大阪市西区に本社を置く大日本除虫菊株式会社(KINCHOブランド)が制定し、2019年(平成31年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。

5月上旬から、ゴキブリは一年で最も活動が活発になる季節を迎えます。気温が25℃を超えると動きが活発化し、繁殖のサイクルも加速します。一匹のゴキブリが産む卵鞘(らんしょう)には平均20〜40個の卵が入っており、条件が整えば短期間で爆発的に増えます。梅雨前のこの時期に対策を始めることが、夏の大量発生を防ぐ最善手です。

「コンバット」はゴキブリ駆除用のベイト剤(毒餌剤)で、ゴキブリが餌を巣に持ち帰ることで、巣の仲間ごと駆除するという仕組みです。「巣ごと、丸ごと」というキャッチフレーズはまさにその特性を突いています。スプレー式の殺虫剤が直接接触した個体しか倒せないのに対し、ベイト剤は巣全体に効果が広がるという点で、戦略的な違いがあります。

大日本除虫菊は1893年(明治26年)創業、蚊取り線香の「金鳥」ブランドで知られる老舗企業です。蚊取り線香から始まり、殺虫剤・防虫剤・芳香剤など生活衛生用品全般へと事業を広げてきた130年以上の歴史を持ちます。

暖かくなってきたこの時期、戸棚の下、冷蔵庫の裏、排水口まわりを一度点検してみることをおすすめします。対策は「見てから」ではなく、「見る前」に始めるのが鉄則です。

メイトーの日

5月10日は、メイトーの日です。5月(May=メイ)と10日(トー)を組み合わせて「メイトー」と読む語呂合わせから、東京都中央区日本橋小網町に本社を置く協同乳業株式会社が制定し、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。同社の商品ブランド「メイトー」をより広くアピールすることが目的で、この日を中心にアイスの無料サンプリングイベントなどが実施されます。

「メイトー」という名前は聞き覚えがなくても、その商品は食べたことがあるはずです。プリン、アイスクリーム、ヨーグルト、チーズ——乳製品全般を手がける協同乳業の製品は、スーパーや給食の現場に長年浸透してきました。特に昭和世代には「メイトーのカスタードプリン」や「メイトーのコーヒー牛乳」が懐かしい記憶として残っている人も多いでしょう。

協同乳業は、複数の酪農協同組合が出資し合って設立された会社です。その成り立ちが示すように、生産者と消費者をつなぐことを根幹に置いてきた企業で、新鮮な原乳を東京都内の工場で加工・製造することにこだわってきました。

乳製品が食卓に当たり前にある今の日本の状況は、牧場から工場、冷蔵トラック、そして店頭に並ぶまでの綿密なコールドチェーンと、それを支えてきた酪農家と加工業者の努力の積み重ねの上に成り立っています。今日のおやつにメイトーのプリンを一つ手に取りながら、そういった「見えない仕事」の連鎖に思いを馳せてみるのも悪くないかもしれません。

日本気象協会創立記念日

5月10日は、日本気象協会創立記念日です。1950年(昭和25年)のこの日、運輸省(現・国土交通省)所管の「財団法人気象協会」として設立されたことに由来します。その後、1966年(昭和41年)に関西気象協会・西日本気象協会と合併して「財団法人日本気象協会」となり、2009年(平成21年)には国の公益法人制度改革に伴い「一般財団法人日本気象協会」に移行しています。

日本気象協会は気象情報の観測・予報・伝達から、気象関連器具の製作・販売、気象知識の普及まで幅広い事業を手がける組織です。本社は東京都豊島区東池袋のサンシャイン60、55階にあり、北海道から九州まで5つの地域拠点を持っています。

気象予報が私たちの生活にとってどれほど重要かは、あらためて説明するまでもありません。農業・漁業・建設業といった天候に直結する産業はもちろん、航空・海運・鉄道の運行管理、観光業の集客計画、そして個人の日々のスケジュールに至るまで、気象情報は社会インフラの一部として機能しています。

「明日の天気」が当たり前のように手元に届く時代ですが、その精度を支えているのは、気象衛星、アメダス観測網、数値予報モデルの進化と、それを解析し続ける専門家の積み重ねです。創立から75年以上、日本の気象情報の基盤を支えてきたこの組織の記念日を機に、今日の天気予報を少し違う目で見てみてはいかがでしょうか。

ごろっとサーモンの日

5月10日は、ごろっとサーモンの日です。「ご(5)ろっと(10)」という語呂合わせから、三重県津市に工場を置き、水産加工品を手がけるマリンフーズ株式会社が制定し、2023年(令和5年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。

マリンフーズは1964年(昭和39年)に創立した食品会社です。「おいしい!で世界を豊かに」という企業キャッチコピーのもと、水産食品の製造・販売を中心に事業を展開しています。この記念日の主役である「ごろっとサーモン丼」は、ギンザケをダイスカット(角切り)して味付けした商品で、添付のタレを使えばすぐにサーモン丼が完成するという手軽さが特長です。量はお茶碗2杯分。忙しい夕食の準備に、そのまま使えるパウチ食品として作られています。

サーモンは現在、日本人が最も多く消費する魚介類のひとつです。回転寿司ではほぼ必ず注文される定番ネタになり、スーパーでも常時並ぶ食材となりました。サーモンがこれほど大衆化した背景には、冷凍・輸送技術の向上と、養殖技術の発達があります。ノルウェーやチリからの輸入量が増えたことで、安定した価格と品質が確保されるようになったのは1990年代以降のことです。

「ごろっと」という表現にこだわりがあります。角切りにすることで、箸でつまんだときの存在感が増し、かむたびにサーモンの旨みがしっかり感じられる仕立てになっています。薄くスライスされた刺身とは異なる、骨太な食べ応えがポイントです。

今夜の夕食に迷ったら、ごろっとしたサーモンを丼にのせてみてください。手間いらずで、食卓が少しだけにぎやかになります。

コメドの日

5月10日は、コメドの日です。「コ(5)メド(10)」という語呂合わせと、「コメド・一緒に・治そう(0にしよう)」という意味を込めて5月10日に定められたこの記念日は、2017年(平成29年)に一般社団法人日本記念日協会により認定・登録されています。ニキビの前段階である「コメド」の認知度を高め、早期治療を促すことが目的です。

コメド(comedo)とは、「面皰(めんぽう)」の英語名で、毛穴が皮脂・ほこり・古い角質・メイク汚れなどで詰まり、固まった状態のことを指します。コメドはニキビそのものではありませんが、放置すると悪化し、炎症を伴う赤いニキビや膿のたまった状態へと変化する可能性があります。

コメドには大きく分けて二種類あります。「白ニキビ」とも呼ばれる閉鎖性コメドは、皮脂が皮膚の下に蓄積したもの。「黒ニキビ」と呼ばれる開放性コメドは、毛穴が開いたまま皮脂が酸化して黒ずんだものです。どちらも、無理に指で押し出そうとすると皮膚を傷つけ、色素沈着や傷跡が残るリスクがあります。洗顔で清潔を保つこと、保湿でバリア機能を整えること、必要であれば皮膚科でのケアを受けることが正しい対処法とされています。

ニキビや肌荒れは「若い頃の悩み」というイメージがありますが、大人になってからも繰り返す人は決して少なくありません。ストレス・睡眠不足・ホルモンバランスの変化が引き金になることも多く、生活習慣そのものと深く結びついています。

今日は自分の肌と少し向き合ってみる日にしてみましょう。洗顔のあと鏡をじっくり見て、気になる毛穴があれば、それが「コメド」かもしれません。早めに皮膚科に相談することで、夏に向けて肌の調子を整えておくことができます。

四迷忌

5月10日は、四迷忌です。明治時代の小説家・翻訳家である二葉亭四迷が、1909年(明治42年)のこの日、ベンガル湾上の船中で45歳の生涯を閉じました。

二葉亭四迷、本名・長谷川辰之助は1864年、江戸市ヶ谷合羽坂の尾張藩上屋敷に生まれました。東京外国語学校露語科でロシア語を習得し、ドストエフスキーやツルゲーネフといったロシア写実主義文学の深みに触れたことが、彼の文学観を決定的に形成します。1887年(明治20年)、師・坪内逍遥の勧めにより書き上げた写実主義小説「浮雲」は、日常の話し言葉をそのまま文章にする「言文一致体」で書かれた日本初の近代小説として、後の文学史を塗り替えることになりました。

奇妙な筆名の由来は、本人が語っています。坪内逍遥の名を借りて「浮雲」を出版したことへの自己嫌悪から、「くたばって仕舞(め)え」と自分を罵った言葉を逆手に取って「二葉亭四迷」としたというのです。自らの存在を嘲りながら筆名に刻むとは、なんとも屈折した誠実さです。

「浮雲」を発表した後、四迷は文学に疑問を感じて内閣官報局に転じ、作家活動をほぼ中断します。官僚としての仕事も長続きせず、その後も満州勤務や朝日新聞社への入社など、落ち着きなく場所を変え続けました。49歳で朝日新聞のサンクトペテルブルク特派員として赴任したのが最後の大きな転機でした。極寒のロシアで体を壊しながらも働き続け、帰国の途につくも、その船上でついに体が限界を迎えます。ベンガル湾上、午後5時15分——「くたばって仕舞え」と自嘲した男の、孤独な最期でした。

墓は東京都豊島区駒込の染井霊園にあります。「浮雲」が切り開いた言文一致の流れは、田山花袋・国木田独歩・島崎藤村ら自然主義の作家たちへと受け継がれ、今の私たちが読む日本語の文章の礎になっています。船上で静かに散った男の痕跡は、日本語そのものの中に残り続けています。

 

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逆マスターキーをGOALの「V-LX RMK」へ交換

逆マスターキーをGOALの「V-LX RMK」へ交換

逆マスターキーをGOALの「V-LX RMK」へ交換

【ご依頼内容:購入したマンションの鍵を連動型に交換したい】

エントランスは非接触キーで開けるタイプで、裏口は通常の鍵で開閉できます。

交換後も連動型のままにしてほしいので、まずはお見積りをお願いしたいです。

【施工内容:逆マスターキーをGOALの「V-LX RMK」へ交換】

今回は、売買を仲介された不動産会社を経由してのご相談です。

お引越し前の段階でのご依頼でしたが、早めに現地調査へ伺うことができ、施工前の錠前の状況を確認しました。

既設の錠前はGOALの「V-LX」による同一キー対応のマンション連動型で、逆マスターキーの仕様が採用されていました。

エントランスにはRF(非接触キー)が使用されており、お客様はカギの頭部に圧着されたRFタイプをご使用中でした。

交換後もマンション連動型をご希望とのことで、ご納得いただいたうえで製品の手配を進めました。

なお、逆マスターキーは特注品のため、納期に1ヶ月強を要します。

早期に現地調査へ伺えたことで、ご入居までに間に合わせることができました。

納品後はお客様のご希望の日程で訪問し、交換工事を実施しました。

また、GOALのRF非接触キーはカギの頭部に圧着されており、後から取り外すことができません。

そのため、最初の注文時に何本のカギに装着するかを必ず指定する必要があります。

マンション連動型の逆マスターキーをご検討の際は、RF装着本数の指定を含め、お早めにご相談ください。

【お客様の声】

引越し前からしっかり対応していただけて安心しました。入居のタイミングに合わせて新しい鍵に交換できたので、気持ちよく新生活をスタートできました。

 

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『2026年5月9日は何の日?』

本日の #5月9日 は #日本 では #何の日 かをまとめてみました。

世界渡り鳥デー

5月9日は、世界渡り鳥デーです。今年2026年の5月第2土曜日がこの日に当たり、世界中でその意義を考える一日となっています。

この記念日は、国連の補助機関である国連環境計画(UNEP)が制定した国際デーで、2006年から実施されています。英語表記は「World Migratory Bird Day」、略称はWMBDです。毎年5月と10月の第2土曜日に設定されており、渡り鳥が直面する脅威や生態学的な重要性、そして国境を越えた保護協力の必要性について世界的な認識を高めることが目的です。

渡り鳥という存在は、よく考えると驚異的です。食料や繁殖環境を求めて数千キロを飛び続け、昼は太陽の位置、夜は星座の配置から方角を読み取り、地磁気や地形の情報まで参照しながら正確なルートを飛ぶとされています。ナビゲーションシステムも持たずに、です。日本で見られる渡り鳥は大きく3種類に分けられます。南方から渡ってきて夏を過ごす「夏鳥」、北方から越冬のために来る「冬鳥」、そして移動の途中に立ち寄るだけの「旅鳥」です。春のこの季節、シギやチドリの仲間が干潟や河川に姿を見せるのは旅鳥としての一時の滞在です。

世界渡り鳥デーには各地でバードフェスティバルや教育プログラム、バードウォッチングイベントが開かれます。今日はいつもより少し空を見上げてみてください。あなたの街の上空を、何千キロもの旅の途中にある鳥が横切っているかもしれません。

アイスクリームの日

5月9日は、アイスクリームの日です。ゴールデンウィーク明けの初夏の空気に、冷たいひと口がぴたりとはまる季節の到来です。

この記念日を制定したのは、東京アイスクリーム協会(現・一般社団法人日本アイスクリーム協会)です。1965年(昭和40年)の制定で、前年の1964年(昭和39年)に連休明けのアイスクリームシーズンの幕開けとして5月9日を「アイスクリームデー」と定め、都内の施設や病院にアイスクリームをプレゼントする記念事業を開催したことが始まりです。その取り組みが継続し、現在も各地でイベントやプレゼント企画が行われています。

日本のアイスクリームの歴史は、意外なほど古く、また値段も驚くほど高いものでした。1869年(明治2年)、横浜の馬車道通りに「氷水屋」を開いた町田房蔵が「あいすくりん」という名称で製造・販売したのが日本初とされています。一人前の値段は2分、現在の価値に換算すると約8,000円という高級品でした。庶民には手の届かない贅沢品として始まったアイスクリームが、今では100円台のコンビニスイーツとして日常に溶け込んでいる。この150年余りの変化は、食の民主化の象徴とも言えます。

今日、近くのアイスクリームショップやコンビニで好みの一品を手に取ってみてください。あの「あいすくりん」から脈々と続く歴史を、ひとくち味わうような気分で。

黒板の日

5月9日は、黒板の日です。「こ(5)く(9)ばん」という語呂合わせと、1872年(明治5年)5月頃にアメリカから黒板が初めて輸入されたという歴史的事実、その両方を理由にこの日が選ばれました。

制定したのは全国黒板工業連盟で、創立50周年を記念して2000年(平成12年)7月に制定し、翌2001年(平成13年)から実施されています。一般社団法人日本記念日協会にも認定・登録されており、黒板の有用性をPRすることが目的です。

黒板という名前を持ちながら、実際には緑色をしている。この不思議な矛盾に気づいている人は多いでしょう。かつての国産黒板は、木の板に墨汁を塗り柿渋や漆で仕上げた、文字通り黒色の板でした。ところが1954年(昭和29年)、日本工業規格(JIS規格)の規定によって黒板の色は緑色に変更されます。チョークの白い文字は、黒よりも緑のほうが目が疲れにくいという理由からです。色が変わっても名前はそのまま残り、今日に至ります。名前と実物がずれたまま定着した例は世にたくさんありますが、黒板はその典型でしょう。

学校の黒板の前で過ごした時間を思い返すとき、あの独特の緑色と白いチョークの粉の感触が一緒によみがえる人も多いはずです。今日は久しぶりにチョークを手にとって、何かを書いてみたくなる一日かもしれません。

メイクの日

5月9日は、メイクの日です。「メイ(May)ク(9)」という語呂合わせから生まれたこの記念日は、美容師によって制定されました。

この記念日を作ったのはメイクアップアーティストの菅原氏で、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。メイクアップアーティストによる社会貢献をテーマに、メイクフェスティバルの開催や介護施設でのメイクサービスなどを実施する日として位置づけられています。「自分の美しさを再発見してもらう日に」という言葉に、この記念日の本質が凝縮されています。

「メイク」という言葉の語源をたどると、美容師マックス・ファクターにたどり着きます。1877年生まれの彼は「Make Up(もっと美しい表情を)」という台詞を広め、後に「化粧する」という意味として定着させました。彼は1909年(明治42年)に化粧品メーカー、マックスファクターを創立した人物でもあります。一人の人物の言葉が、世界中で使われる動詞になっていった過程は、言語の面白さを改めて感じさせます。

同じ語呂合わせで「チャリティーメイクの日」も5月9日に設定されており、病院や福祉施設を訪問してボランティアでメイクを行う活動が行われています。外見を整えることが、内側の自信や活力に直結するという事実は、多くの研究や現場の声が裏付けています。

チャリティーメイクの日

5月9日は、チャリティーメイクの日でもあります。メイクの日と同じく「メイ(May)ク(9)」の語呂合わせで設定されたこの日は、メイクを通じた社会貢献に焦点を当てています。

制定したのは菅原氏で、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。ハンディキャップを抱えた方や高齢者、日常的に自分を美しくする時間や余裕を持てない方に、プロのメイクアップアーティストがチャリティーやボランティアとしてメイクを施す日です。

「外見を整える」という行為が持つ力は、しばしば過小評価されます。ところが病院のベッドで鏡を見て自分らしい顔になった瞬間の表情の変化、施設での鏡越しの笑顔——プロのメイクアップアーティストたちはそうした場面を繰り返し目にしています。身体の状態に関わらず、「きれいになりたい」という気持ちは人間にとって普遍的なものです。チャリティーメイクの日は、その普遍的な欲求に応えるための日として、静かに根を張っています。

今日、自分のためだけでなく、誰かのために何かをするきっかけとして、この記念日を思い出してみてください。

呼吸の日

5月9日は、呼吸の日です。「こ(5)きゅう(9)」という語呂合わせに加え、新緑が美しく風のそよぎに深呼吸したくなるこの季節という理由も、日付の選定に込められています。

この記念日はNPO法人日本呼吸器障害者情報センターが制定し、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。一般市民を対象に肺の健康への理解を深め、呼吸器疾患の早期発見とタバコの害などの知識を普及・啓発することが目的です。

呼吸は、人間が意識せずに行う行為の中で最も根本的なものです。1日に約2万回、一生を通じれば数億回も繰り返されながら、ほとんどの時間は意識の外にあります。ところが呼吸器に障害を持つ人にとって、その「当たり前」は一刻一刻を意識しなければならない行為です。慢性閉塞性肺疾患(COPD)は日本に500万人以上の患者がいると推計されながら、適切な診断を受けていない人が多いとされています。

5月の新緑の中、ゆっくりと胸いっぱいに空気を吸い込んでみてください。その深呼吸一つが、自分の肺の状態を知る小さなきっかけになるかもしれません。そして、呼吸することが容易ではない人たちの存在を、今日だけは少し意識してみてください。

県民ふるさとの日(富山県)

5月9日は、富山県の県民ふるさとの日です。1883年(明治16年)のこの日、石川県から越中国が分離され、富山県が再設置されました。1876年(明治9年)に一旦消滅していた富山県が、7年の時を経てこの日に復活したのです。

この記念日は富山県が定めており、県民がふるさとの歴史・自然・風土・文化・産業などの魅力を知り、理解を深め、ふるさとへの愛着を育む日とされています。毎年この日には、高志の国文学館・近代美術館・水墨美術館・中央植物園・県民公園太閤山ランド・立山博物館など、県が運営する施設が無料開放されます。

富山県は日本海に面し、立山連峰を擁する自然豊かな地です。富山湾の「天然のいけす」と呼ばれる深海から湧き上がる豊かな海産物、世界有数の積雪量を誇る山岳地帯、薬の配置販売で知られる薬都としての歴史——その個性は隣の石川県とは明確に異なります。明治の廃藩置県の混乱の中で一旦は消えかけた「富山県」という行政単位が、この日に息を吹き返したことは、現在の富山の人たちにとって単なる歴史的事実以上の意味を持っているはずです。

もし富山を訪れる機会があれば、今日この日に絡めて訪問してみてください。県の施設が無料開放されるこの日は、富山という土地を深く知るための扉が広く開かれています。

ゴクゴクの日

5月9日は、ゴクゴクの日です。「ゴ(5)ク(9)ゴク」という語呂合わせで、初夏の日差しの中で飲み物をゴクゴクと飲む爽快感を楽しみながら、同時に水資源に恵まれない地域の人々のことを考える日として設けられました。

制定したのは「きき酒師ちえの料理と酒の相性研究」のホームページを主宰する池田千恵氏で、2005年(平成17年)のことです。一般社団法人日本記念日協会にも認定・登録されています。この日にはゴクゴク飲む飲み会のイベントが開催され、活動を通じた収益は水環境整備のためラオスなどに寄付されています。

「ゴクゴク飲む」という日常の何気ない行為と、水を自由に飲めない地域の現実を結びつけた発想は、記念日の作り方として秀逸です。ラオスは東南アジアの中央部に位置し、メコン川が流れる国ですが、乾季には川の水位が著しく下がり、地方部では安全な飲料水へのアクセスが今なお課題となっています。

冷たい飲み物をゴクゴクと飲める環境を当たり前と思わずに、今日は一杯の水や飲み物に少しだけ意識を向けてみてください。

告白の日

5月9日は、告白の日です。「こ(5)く(9)はく」という語呂合わせから生まれたこの記念日は、男性用化粧品ブランドのAXE(アックス)を展開するユニリーバ・ジャパン株式会社が制定し、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。

男性が女性に告白をする日として設定されており、勇気を持って思いを伝えてほしいという願いが込められています。制定の背景には、いわゆる「草食系男子」という言葉が広まった時代の空気があります。恋愛に積極的でない若い男性が増えているとされていた当時、告白という行為そのものを後押しする記念日として設けられました。

告白という行為には、断られるリスクを承知の上で自分の感情をさらけ出す勇気が必要です。言葉にすることで初めて伝わるものは、人間関係の中に無数にあります。ロマンティックな告白に限らず、感謝の言葉、謝罪の言葉、ずっと言えなかった本音——今日はそういった「言葉にすること」全般を後押しする日として受け取っても良いかもしれません。

5月の清々しい空気の中で、誰かに伝えたかった言葉を、ひとつだけ声に出してみてください。

極上の日

5月9日は、極上の日です。「ご(5)く(9)じょう」という語呂合わせから生まれたこの記念日は、京都府京都市伏見区に本社を置く宝酒造株式会社が制定し、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。

まろやかな口当たりと芳醇な味わいを持つ「極上〈宝焼酎〉」をより多くの人に味わってもらいたいという思いが込められています。宝酒造では大麦・トウモロコシ・サトウキビ糖蜜などさまざまな原料を使い、蒸留方法や樽の種類・貯蔵期間・精製方法の異なる約85種類・約2万樽の樽貯蔵熟成酒を保有しています。長年培った経験と技術でブレンドすることで、甲類焼酎に深みある味わいを生み出しています。

「極上」という言葉は、単に品質の高さを指すだけでなく、ひとつの哲学を持っています。妥協せずに突き詰めた先にあるもの——それは食品でも、仕事でも、人間関係でも同じです。今日は、日常の中のどこかにある「ひとランク上の体験」を意識的に選んでみてはどうでしょう。いつもより少しだけ丁寧に入れたコーヒー、少し値の張る食材を使った夕食、長らく先延ばしにしていた本の一冊。それが、今日の「極上」です。

悟空の日

5月9日は、悟空の日です。「ご(5)くう(9)」という語呂合わせから、東映株式会社が制定し、一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されています。2015年(平成27年)4月公開の映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』の配給を機に、孫悟空というキャラクターの魅力をより多くの人に知ってもらうことが目的です。

鳥山明氏(1955〜2024年)が生み出した孫悟空は、惑星ベジータ生まれのサイヤ人でありながら、地球で育ち、純粋で明朗な性格を持つ戦士として愛され続けてきました。心が清らかな者だけが乗れる筋斗雲に乗ることができるという設定は、彼の本質を端的に示しています。『ドラゴンボール』シリーズは世界100か国以上で翻訳・放映され、孫悟空という名前は日本のポップカルチャーが生んだ最も世界に届いたキャラクターのひとつです。

映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』は日本での興行収入37.4億円を記録し、メキシコやアメリカ、カナダ、ブラジル、中国など世界中で公開されました。鳥山氏は2024年に逝去されましたが、悟空の物語は世代を超えて語り継がれています。今日は久しぶりに孫悟空の世界を覗いてみるのも一興です。

工具の日

5月9日は、工具の日です。「こう(5)ぐ(9)」という語呂合わせから、自動車整備用工具や医療用工具など様々な工具を製造・販売する京都機械工具株式会社(KTC)が制定し、2021年(令和3年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。工具の正しい使い方やメンテナンス方法を発信し、プロからDIY初心者まで安全で快適な作業を行えるよう促すことが目的です。

KTCは1950年(昭和25年)に設立された会社で、第二次世界大戦前から日本海軍航空隊への工具納入に携わっていた3名が独立して創業しました。トヨタ自動車の車載工具として採用されたことを契機に業界での地位を確立し、現在は10,000アイテムを超える製品を擁する国内最大の工具メーカーとなっています。「軽くて強くて使いよい」を基本理念に、熱間鍛造技術は世界トップクラスと評されています。

工具は縁の下の存在です。自動車も、建物も、家具も、医療機器も——あらゆる「作られたもの」の背後には、工具を握った人間の手があります。今日は自宅の工具箱を開けてみてください。使い古されたドライバーやスパナに、これまでの「作った記憶」が刻まれているはずです。

謎解きの日

5月9日は、謎解きの日です。5月を英語で「may」、9を「nine」と表記し、その文字を並び替えてnとyを組み合わせると「謎」を意味する英単語「enigma」が作れる——この日付の選び方自体が、すでに一つの謎解きになっています。

制定したのは、東京都渋谷区に本社を置くRIDDLER(リドラ)株式会社で、2021年(令和3年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。同社は「謎解き」を文化として広めることを目指す企業であり、代表取締役はタレント・謎解きクリエイターの松丸亮吾氏が務めています。

謎解きの定義は明快です。知識ではなく、ひらめきが必要な問題のこと。どれだけ博識であっても解けない問題があり、逆に知識がなくても純粋な思考力でたどり着ける答えがある。そのひらめいた瞬間の快感は、他のどんな体験にも代えがたいものです。近年、脱出ゲームや謎解きイベントが急速に普及し、「知的エンターテインメント」として定着してきました。考えることを楽しむ文化が社会に根を張りつつある証左と言えるでしょう。

今日はスマートフォンの謎解きアプリを一問だけ解いてみるか、あるいは身近な人に小さななぞなぞを出してみてください。

摂食嚥下障害克服のためのゴックンの日

5月9日は、摂食嚥下障害克服のためのゴックンの日です。「ゴ(5)ック(9)ン」という語呂合わせから、佐賀県佐賀市の摂食嚥下リハビリの専門家として知られる本多知行医師が制定しました。

「摂食嚥下障害」という言葉は、日常ではあまり耳にしないかもしれません。食べ物や飲み物を口に取り込み、噛んで飲み込む一連の動作に支障が生じる状態のことです。脳卒中後の患者、神経疾患を持つ方、高齢者など、日本では数百万人がこの障害を抱えていると推計されています。ゴクリと飲み込む、たったそれだけの動作が、訓練なしにはできないという現実は、「食べる」という行為の複雑さを改めて教えてくれます。

誤嚥性肺炎は、日本人の死因の上位に位置する疾患です。飲み込む力の低下が引き起こすこの肺炎は、適切なリハビリと食事の工夫によってある程度防ぐことができるとされています。本多医師のようなリハビリ専門家たちが地道に積み重ねてきた臨床知識と、この記念日が広める啓発活動が、一人でも多くの方の「食べる喜び」を守ることにつながっています。

飲み込む力を維持するために、日頃から口腔体操や首のストレッチを習慣にすることが有効とされています。今日は自分や家族のために、その第一歩を踏み出してみてください。

こはくの日(5月8日・9日)

5月9日は、こはくの日の2日目でもあります。「こ(5)は(8)く(9)」という語呂合わせから5月8日と9日の2日間が対象とされています。

この記念日を制定したのは3社です。岩手県久慈市で琥珀の原石採掘や装飾品製造・販売・博物館運営を手がける久慈琥珀株式会社、琥珀の工芸品加工・販売を行う有限会社上山琥珀工芸、琥珀商品の企画やコンサルティングを行う株式会社ten-senの3社が共同で制定し、2023年(令和5年)に一般社団法人日本記念日協会に認定・登録されました。琥珀を贈ることで結婚10年目の「琥珀婚(アンバーウェディング)」の文化を広めたいという願いも込められています。

琥珀とは、数千万年から数億年前の樹木の樹脂が地中に埋もれて固まった化石です。その中に閉じ込められた昆虫や植物の欠片は、太古の生態系への窓として科学的にも高い価値を持ちます。映画『ジュラシック・パーク』で琥珀の中の蚊から恐竜のDNAを復元するというアイデアは、フィクションながらも琥珀の持つロマンを世界に示しました。

岩手県久慈市はアジア最大級の琥珀産地として知られており、久慈琥珀博物館ではその神秘的な世界を体験できます。温かみのある黄金色の輝きを持つ琥珀を手に取ることは、数千万年の時間に触れることと同義です。今日は琥珀のアクセサリーや小物に目を向けてみてください。

 

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MIWAの「ディスクシリンダー」を「PR」へ交換

MIWAの「ディスクシリンダー」を「PR」へ交換

MIWAの「ディスクシリンダー」を「PR」へ交換

【ご依頼内容:近隣で不審な出来事が続いて防犯対策をしておきたい】

近所で強盗や不審な出来事が続いていて、何かあってからでは遅いので、念のため対策しておきたいです。

玄関は上下2ロックなのですが、ご予算のこともあり、今回は下側の鍵だけ防犯性の高いものに換えてもらいたいです。

【施工内容:MIWAの「ディスクシリンダー」を「PR」へ交換】

玄関下側に取り付けられていたMIWAのディスクシリンダーを、同じくMIWAのディンプルシリンダー「PR」へ交換いたしました。

ディスクシリンダーはシンプルな構造ゆえにピッキングに対する耐性が低く、防犯上の弱点になりやすい錠前です。

一方、「PR」はキー表面に凹凸状の穴(ディンプル)が配置されたディンプルキー対応シリンダーで、複雑な内部機構によりピッキングが極めて困難な設計となっています。

玄関扉のシリンダー周囲には装飾座が設置されていましたが、今回はその装飾座をそのまま活かし、内部のシリンダー部分のみを入れ替える形で施工しました。

なお、上下2ロックのうち今回交換したのは下側のみですが、上側のシリンダーもディスクシリンダーであれば、防犯上は上下ともディンプルキー対応への変更をおすすめします。

【お客様の声】

すぐに来てもらえてよかったです。これで少し気持ちが楽になりました。

 

 

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