明後日の、#2月18日 は、#日本 では何の日かをまとめてみました。
嫌煙運動の日(2月18日 記念日)
1978年2月18日、東京・四谷で約40名の有志が集まり、「嫌煙権確立をめざす人びとの会」が設立されました。この日を記念して制定されたのが「嫌煙運動の日」です。当時の日本では嫌煙運動はほとんど行われておらず、喫煙者の権利が優先される風潮が強い時代でした。この会の設立により本格的な嫌煙運動が始まることとなり、日本における禁煙・分煙の歴史における重要な転換点となりました。
実は、この会が設立される以前にも、札幌市には「非喫煙者を守る会」という組織が既に存在していました。しかし、全国的な運動として広がることはありませんでした。そこで「嫌煙権確立をめざす人びとの会」は、新たな戦略を打ち出します。それが「嫌煙権」という新語の創出でした。この言葉は、当時社会問題となっていた建築物の日当たりを確保する「日照権」をヒントにして作られました。権利という概念を用いることで、非喫煙者にも煙を吸わされない権利があることを明確に主張したのです。
この耳新しい「嫌煙権」という言葉と運動は、多くのマスコミに取り上げられました。新聞、テレビ、雑誌などが競ってこの集会を報道し、一気に嫌煙運動が全国的に盛り上がっていきました。それまで我慢を強いられていた非喫煙者たちが、自分たちの権利を主張できる時代が到来したのです。その成果として、新幹線「ひかり」に禁煙車両が導入されるなど、具体的な変化が見られるようになりました。当時としては画期的な取り組みであり、公共交通機関における禁煙化の先駆けとなりました。
その後、嫌煙運動は着実に成果を積み重ねていきます。2017年3月4日のダイヤ改正では、東海道新幹線の定期列車「のぞみ」と「ひかり」の車両すべてがN700系「N700A」タイプになり、臨時列車を除いて全席が禁煙となりました。完全禁煙化は難しいという声もありましたが、代わりに喫煙ルームが設けられることで、喫煙者と非喫煙者の双方に配慮した形となっています。
また、喫煙に対する社会的認識が大きく進展し、健康増進法の施行やタバコ規制枠組み条約の発効などの法的整備も進みました。これにより、病院・役所・学校施設・駅などの公共施設はもちろん、百貨店・飲食店・娯楽遊戯店などの民間施設においても禁煙や分煙の取り組みが積極的に行われるようになりました。受動喫煙による健康被害の認識が広まり、特に子どもや妊婦などへの配慮が重視されるようになっています。現在では、完全禁煙の飲食店も珍しくなく、むしろ喫煙可能な店舗の方が少数派となりつつあります。
関連する記念日として、5月31日は世界保健機関(WHO)が制定した国際デーの「世界禁煙デー」となっています。日本国内だけでなく、世界規模で禁煙運動が展開されており、嫌煙運動の日から始まった日本の取り組みは、国際的な潮流とも連動しながら発展を続けています。
エアメールの日(2月18日 記念日)
1911年2月18日、インドで飛行機によって世界で初めて郵便物が運ばれました。この歴史的な出来事を記念して制定されたのが「エアメールの日」です。航空機による郵便輸送という概念がまだ実験段階にあった時代に、この画期的な試みが成功したことは、その後の航空郵便発展の礎となりました。
この世界初の航空郵便は、アラーハーバードで開かれていた博覧会のアトラクションとして企画されました。博覧会の目玉企画として、最新技術である飛行機を使った郵便輸送のデモンストレーションが行われることになったのです。会場から約9km離れたナイーニまで、約6500通もの手紙やハガキが運ばれることになりました。当時としては大規模な郵便物の輸送であり、関係者の期待と不安が交錯する中で実施されました。
飛行時間はわずか13分間でした。現代の感覚からすれば短い時間ですが、当時の飛行機の性能を考えれば驚異的なスピードでした。聖なる大河として知られるヤムナー川を飛び越え、無事にナイーニの郵便局に届けられました。使用された飛行機はハンバー・ソマー複葉機で、骨組みに羽布を張った構造で、パイロットはむき出しという、現代の航空機とは比較にならないほど原始的なものでした。強風や悪天候に見舞われれば大変危険な状態でしたが、幸いにも天候に恵まれ、無事にミッションを完遂することができました。
郵便物がナイーニに到着した後は、列車など通常の陸上交通手段を使って各宛先に配達されました。つまり、航空輸送は全行程の一部分に過ぎませんでしたが、それでも郵便輸送の速度を大幅に向上させる可能性を示したことは重要でした。この実験的な飛行から50周年を記念して、1961年2月18日に記念切手が発行され、ハンバー・ソマー機の勇姿が描かれています。この切手は現在、航空郵便史の貴重な資料として収集家の間で高い価値を持っています。
その後、航空郵便は急速に発展していきます。世界初の定期的な航空郵便の営業は、1918年5月15日に米国郵政省(後のアメリカ合衆国郵便公社)がワシントンD.C.とニューヨーク市の間で、フィラデルフィア経由で実施したものでした。インドでの実験から7年後のことです。この定期便の開始により、航空郵便は実験段階から実用段階へと移行しました。
現在では、国際郵便のほとんどが航空便で運ばれており、世界中どこへでも数日で手紙や小包を届けることができます。インターネットやメールの普及により紙の手紙は減少傾向にありますが、航空郵便の発展がグローバルなコミュニケーションの基盤を築いたことは間違いありません。1911年のこの日の13分間の飛行が、現代の国際郵便システムへと発展していったのです。
冥王星の日(2月18日 記念日)
1930年2月18日、アメリカ・ローウェル天文台の天文学者クライド・トンボーが太陽系第9惑星「冥王星」を発見しました。この天文学史上の重要な発見を記念して制定されたのが「冥王星の日」です。トンボーはこの発見により一躍時の人となり、20世紀における最も重要な天文学的発見の一つとして記録されることになりました。
トンボーは1月23日と1月29日の2回にわたって撮影した写真を比較研究することで、動きのある惑星「冥王星」を発見しました。当時の天文学では、写真乾板を使って同じ星域を異なる日時に撮影し、その間に位置が変化した天体を探すという手法が用いられていました。膨大な数の星々の中から、わずかに位置を変えた天体を見つけ出すのは、極めて根気のいる作業でした。トンボーの慎重かつ緻密な観測が、この歴史的発見につながったのです。
実は、冥王星の存在は以前から予言されていました。内側を回る天王星の軌道に乱れが観測されており、その原因として未知の惑星の存在が推測されていたのです。しかし、実際に発見された冥王星は、予想を遥かに下回る15等星という暗さでした。これは肉眼では全く見えず、望遠鏡を使っても注意深く観測しなければ見つからないレベルの明るさです。この暗さのため、冥王星の発見が遅れることになりました。もし冥王星がもう少し明るければ、もっと早い時期に発見されていた可能性が高いでしょう。
発見された天体には名前をつける必要があります。その暗さから、ギリシア神話の冥府(死者の国)の神ハデスに由来する「プルート(Pluto)」と名付けられました。太陽から最も遠く離れた暗い世界というイメージが、冥府の神の名前にふさわしいと考えられたのです。興味深いことに、この名前を提案したのはイギリスの11歳の少女ベネチア・バーニーだったと言われています。
日本語名の「冥王星」は、英米文学者で天文に関する著作を多数残している野尻抱影が提案した名称です。野尻は「幽王星」というもう1つの候補も提案していましたが、最終的に「冥王星」が採用されました。この「冥王星」という名称は、現在、中国をはじめとする東アジア諸国で共通して使用されており、日本の天文学用語が国際的に影響を与えた例の一つとなっています。
冥王星の物理的特性も興味深いものです。直径は2370kmで、これは直径3474kmである地球の衛星「月」よりも小さいサイズです。惑星としては異例の小ささであり、後の分類変更の一因となりました。また、冥王星には5つの衛星が発見されています。最大の衛星カロンは1978年に発見され、その他の4つの小さな衛星は2005年以降に発見されました。カロンは冥王星の約半分の大きさがあり、冥王星とカロンは二重惑星のような関係にあると考えられています。
そして、冥王星の歴史における最大の転換点が2006年に訪れます。この年、国際天文学連合(IAU)の総会で、それまで明確でなかった「惑星」の定義が初めて正式に定められました。新しい定義では、惑星は「太陽の周りを回り」「十分な質量を持ち」「軌道周辺の他の天体を排除している」という3つの条件を満たす必要があります。冥王星は最初の2つの条件は満たしていましたが、軌道周辺に多数の天体が存在するため、3つ目の条件を満たしていませんでした。
このため、冥王星は「惑星」ではなく、新たに設けられた「準惑星(dwarf planet)」に分類されることとなりました。これは冥王星の発見から76年後のことであり、奇しくもこの年はトンボーの生誕100年でもありました。長年親しまれてきた「太陽系第9惑星」という地位を失ったことで、世界中で議論が巻き起こりました。特に教育現場では、教科書の書き換えが必要となり、大きな影響を与えました。
しかし、準惑星に分類が変更されたからといって、冥王星の科学的重要性が失われたわけではありません。2015年には、NASA(アメリカ航空宇宙局)の探査機「ニューホライズンズ」が冥王星に接近し、詳細な観測データを送ってきました。これにより、冥王星の表面に窒素の氷でできた平原や、高さ3000m以上の氷の山脈があることなど、多くの新事実が明らかになりました。冥王星は今もなお、太陽系の成り立ちを理解する上で重要な天体として、天文学者たちの研究対象となっているのです。
方言の日(鹿児島県大島地区)(2月18日 記念日)
鹿児島県大島地区文化協会連絡協議会が2007年に制定した記念日です。この日を中心として、衰退しつつある奄美方言の保存・伝承のための広報啓発活動が積極的に行われます。近年、日本全国で方言の衰退が問題となっていますが、特に離島である奄美群島では、若い世代が標準語を使うようになり、固有の方言を話せる人が急速に減少しています。このような状況の中で、貴重な文化遺産である方言を次世代に継承していくことが急務となっているのです。
記念日の名称は各島ごとの方言でも定められており、それぞれの島の言葉の特徴を反映した呼び方がされています。奄美大島では「シマユムタの日」、喜界島では「シマユミタの日」、与論島では「ユンヌフトゥバの日」などとなっています。「シマ」とは島を意味し、「ユムタ」や「ユミタ」は言葉や話を意味します。与論島の「ユンヌフトゥバ」とは、「与論(ユンヌ)の言葉(フトゥバ)」という意味です。
この記念日が2月18日に設定された理由も、方言に基づいています。与論島の方言で「フ(2)トゥ(10)バ(8)」と読む語呂合わせから、この日付が選ばれました。記念日の日付自体が方言で表現されているという点が、この記念日の特徴的な部分です。単に方言を保存するだけでなく、方言そのものを活用して記念日を設定することで、方言の存在意義と重要性を強くアピールしているのです。
奄美群島の方言は、琉球語の一種とされ、日本語の古い形を保持していると言われています。言語学的にも非常に貴重な存在で、日本語の歴史を研究する上で重要な手がかりとなります。しかし、テレビやインターネットの普及により標準語に触れる機会が増え、また進学や就職で島を離れる若者が増えたことで、方言を日常的に使う機会が激減しています。高齢者は方言を流暢に話せますが、若い世代は理解できても自分では話せないという状況が広がっているのです。
「方言の日」前後の2月中には、様々なイベントが開催されます。小中高校生などが日頃の成果を発表する「喜界町シマ唄・シマゆみた大会」は、若い世代が方言や島唄を学び、発表する貴重な機会となっています。参加者たちは、学校や地域で方言を学び、伝統的な島唄を練習して大会に臨みます。方言で歌われる島唄は、島の歴史や生活、感情を表現した貴重な文化遺産です。
また、方言が書かれたカルタを取り合う「与論カルタ大会」も人気のイベントです。カルタという遊びの形式を通じて、楽しみながら方言に触れることができます。読み札には方言で島の名所や伝統、生活習慣などが書かれており、取り札にはその解説が書かれています。子どもたちはゲームを通じて自然と方言を学び、島の文化や歴史についても理解を深めることができます。
このような取り組みは、単に言葉を保存するだけでなく、島のアイデンティティや文化全体を守ることにつながっています。方言には、その土地の気候、地形、歴史、生活様式などが反映されており、方言を失うことは地域の文化そのものを失うことを意味します。「方言の日」は、そうした危機感を共有し、地域の宝である方言を未来に伝えていくための重要な取り組みとなっているのです。全国的にも、各地で方言保存の動きが広がっており、鹿児島県大島地区の「方言の日」は、地域文化保存の先駆的な取り組みとして注目を集めています。
プライヤの日(2月18日 記念日)
新潟県見附市に本社を置き、日本で唯一のプライヤ専門メーカーである株式会社五十嵐プライヤー(現:株式会社IPS PLIERS)が制定しました。日付は「プ(2)ライ(1)ヤ(8)」と読む語呂合わせからです。家庭のDIYからプロフェッショナルの現場まで幅広く使える汎用性の高い「プライヤ」を、より多くの人に知ってもらい使ってもらうことが目的です。記念日は2022年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。
「プライヤ」とは、ボルトやナット、パイプなど、様々な物を掴んだり挟んだり、曲げたり切断するときに使う作業工具です。正式名称は「Slip joint pliers(スリップジョイントプライヤ)」と呼ばれます。ジョイント部分がスライド構造になっているため先端部分をより大きく開くことができ、小さなものから大きなものまで挟むことができます。工具箱の中に一つあれば、様々な作業に対応できる非常に汎用性の高い工具です。
プライヤは、主に金属加工や配管工事、電気工事、自動車整備などの専門的な作業で使われますが、家庭でのDIYや日常的な修理作業でも活躍します。例えば、硬く締まったボルトやナットを回したり、針金を曲げたり、パイプを掴んだりと、様々な場面で使用できます。レンチやスパナでは対応できないサイズの物でも、プライヤなら調整して掴むことができるため、一つ持っていると非常に便利です。
同社は1988年に今までにはなかった「キズをつけずに、つかむ、まわる」という新発想の商品「ソフトタッチシリーズ」を開発しました。従来のプライヤは金属同士が接触するため、掴んだ対象物に傷をつけてしまうという問題がありました。しかし、ソフトタッチシリーズは、掴む部分に特殊な樹脂やゴムを使用することで、傷をつけずに物を掴むことができます。この革新的な製品の開発により、国内プライヤ製造業としての存在を確固たるものにしました。
特に、メッキ部品やステンレス部品、樹脂部品など、傷をつけたくない精密部品の取り扱いにおいて、ソフトタッチシリーズは大きな支持を得ています。自動車整備や精密機器の組み立てなど、プロフェッショナルの現場でも広く使用されています。また、家庭でも、蛇口の部品交換や家具の組み立てなど、傷をつけたくない作業で重宝されています。
新潟県見附市は、古くから金属加工業が盛んな地域であり、その技術の蓄積が同社の高品質な製品づくりを支えています。日本で唯一のプライヤ専門メーカーとして、同社は長年の経験と技術を活かし、ユーザーのニーズに応える製品を開発し続けています。プライヤという一見地味な工具ですが、品質の高い道具は作業の効率と精度を大きく向上させます。
「プライヤの日」は、こうした日本の優れたものづくりの技術と、日常生活や仕事を支える工具の重要性を再認識する機会となっています。DIYブームが続く中、適切な工具を使うことの大切さを伝え、より多くの人に使いやすく高品質な工具の存在を知ってもらうことが、この記念日の目的となっているのです。
安眠の日(2月18日 記念日)
「1日約8~9時間の睡眠時間を守り、しっかり休もう」という提言を実行する日です。関東の一部地域で記念日が制定されたとの情報がありますが、詳細については不明です。また、年によっては小中学校で安眠キャンペーンのイベントが実施されるとの情報もあります。睡眠は人間の生活において最も重要な要素の一つであり、心身の健康を維持するために欠かせません。
安眠とは、安らかに眠ること、また、そのような眠りを意味します。ぐっすり眠って睡眠の質が高い状態を指し、朝すっきり起きられ、日中も眠気がなく、心身の健康が維持できていれば安眠できていると言えます。単に長時間眠ればよいというわけではなく、睡眠の質が重要です。深い眠りに入ることができ、途中で何度も目が覚めることなく、朝まで熟睡できることが理想的な安眠の状態です。
日本人は他国の人に比べて睡眠時間が短いと言われており、これは国際的な調査でも明らかになっています。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は加盟国の中で最も短いレベルにあります。長時間労働や通勤時間の長さ、夜型のライフスタイルなどが原因として指摘されています。睡眠不足を解消するためにもしっかり睡眠をとって休む必要があります。
総務省が発表している「社会生活基本調査」において、関東圏の睡眠時間は他の地域に比べて短いとの調査結果もあります。特に東京都とその周辺の都市部では、通勤時間が長く、仕事が終わるのも遅いため、睡眠時間が削られがちです。また、都市部では24時間営業の店舗やサービスが多く、夜遅くまで活動しやすい環境にあることも、睡眠時間が短くなる要因の一つとなっています。
睡眠不足や睡眠の乱れは、様々な健康問題を引き起こします。糖尿病や高血圧、脂質異常症などの生活習慣病のリスクが高まることが医学的に証明されています。また、うつ病などの精神疾患、認知症、心筋梗塞、狭心症など、命に関わる深刻な病気のリスクも増加します。睡眠中には、体の修復や成長ホルモンの分泌、記憶の整理などが行われており、これらのプロセスが十分に機能しないと、心身に様々な悪影響が出てきます。
さらに、集中力の低下により仕事や勉強の効率が下がる、ミスが多くなるなどの問題を引き起こす原因にもなります。重大な事故の背景に睡眠不足があったというケースも少なくありません。運転中の居眠りや、作業中の注意力散漫による事故など、睡眠不足は本人だけでなく周囲の人々にも危険をもたらす可能性があります。
近年では、夜遅くまでスマートフォンを使うことで睡眠時間が短くなっている人も増えています。スマートフォンやパソコンの画面から発せられるブルーライトは、睡眠を促すメラトニンというホルモンの分泌を抑制してしまいます。そのため、就寝前にスマートフォンを見ると、なかなか寝付けなくなったり、睡眠の質が低下したりします。10代の子どもでは、深夜までオンラインゲームに没頭してしまい寝不足になり、そのまま登校するケースも問題になっています。成長期の子どもにとって、睡眠は体の成長だけでなく、脳の発達にも重要な役割を果たします。
良質な睡眠を得るためには、規則正しい生活リズムを保つこと、就寝前のカフェイン摂取を避けること、寝室の環境を整えること(適切な温度、暗さ、静けさ)、適度な運動をすることなどが推奨されています。また、就寝前1~2時間はスマートフォンやパソコンの使用を控えることも効果的です。
関連する記念日として、3月18日は「春の睡眠の日」、9月3日は「秋の睡眠の日」、10月9日は「熟睡の日」、3月19日は「眠育の日」となっています。これらの記念日は、季節ごとの睡眠の重要性や、睡眠教育の必要性を訴えるために設けられています。安眠の日とともに、これらの記念日を通じて、睡眠の大切さを再認識し、より良い睡眠習慣を身につけることが期待されています。
米食の日(毎月18日 記念日)
三重県が1978年10月に制定しました。日付は「米」の漢字を分解すると「十」と「八」になることからです。若者の米離れを防ぎ、米の消費拡大を図ることが目的です。1970年代後半は、日本人の食生活が大きく変化しつつあった時期であり、パン食や麺類が増え、米の消費量が減少し始めていました。そうした状況の中で、日本の伝統的な主食である米の重要性を再認識してもらうために、この記念日が制定されました。
「米」の漢字を分解すると「八十八」にもなることから8月18日は「米の日」または「お米の日」となっています。これは、米作りには八十八の手間がかかるという言い伝えに由来しており、米作りの大変さと米の貴重さを表現しています。「米の日」を制定した団体や目的などの詳細は定かではありませんが、毎月8日・毎月18日・毎月28日を「米の日」とする場合も見られます。
例えば、滋賀県東近江市では毎月8日を「お米の日」としており、ご飯食の良さや健康的な食生活を推奨し、近江米を食べる機会を増やしてもらうための「お米の日」プロジェクトを実施しています。学校給食では地元産の米を使用したメニューを提供したり、飲食店では米を使った特別メニューを提供したりするなど、地域ぐるみで米食の推進に取り組んでいます。このような取り組みは、地産地消の促進や地域農業の活性化にもつながっています。
米食とは、米を食べること、また、米を主食とすることを意味します。日本ではお米が主食として食べられていますが、これは日本の気候がお米作りに適しており、多く収穫できること、また、日本人の味覚に合っていることなどが理由として挙げられます。日本列島は南北に長く、温暖で湿潤な気候を持ち、豊富な水資源に恵まれています。これらの条件は、水田稲作に最適であり、古代から米作りが盛んに行われてきました。
お米には炭水化物が多く含まれており、体内で消化されてブドウ糖になり、脳や体のエネルギー源として利用されます。お米の栄養成分の7割以上が炭水化物です。炭水化物は、即効性のあるエネルギー源として重要で、特に脳は主にブドウ糖をエネルギーとして使用します。そのため、朝食でしっかりとご飯を食べることは、午前中の仕事や勉強の効率を高めることにつながります。健康に暮らし、仕事や勉強に集中できる充実した日々を送るためにお米は大切な役割を果たします。
また、お米にはタンパク質、ビタミンB1、ビタミンB2、食物繊維なども含まれており、栄養バランスの良い食品です。特に玄米には、白米よりも多くの栄養素が含まれています。さらに、お米は腹持ちが良く、血糖値の上昇が緩やかなため、満腹感が持続しやすいという特徴があります。これは、ダイエットや健康管理にも有益です。
日本におけるお米の1人当たりの消費量は1962年度をピークに減少傾向にあります。ピーク時は年間118.3kgのお米を消費していましたが、2022年度は年間50.9kgまで減少しました。60年の間にお米の消費量は半分以下になっており、これは日本の食文化における大きな変化を示しています。お米の代わりにパンや麺類を食べる人が増えており、特に朝食でパンを食べる家庭が増加しています。
この変化には様々な要因があります。ライフスタイルの変化により、朝食を簡単に済ませたいという需要が増えたこと、欧米型の食生活が浸透したこと、外食やコンビニエンスストアの利用が増えたことなどが挙げられます。また、若い世代を中心に、米を炊く手間を避ける傾向も見られます。炊飯器があっても、洗米や炊飯にかかる時間を手間と感じる人が増えているのです。
しかし、近年では健康志向の高まりから、米食が見直される動きもあります。和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことも、米食の価値を再認識するきっかけとなっています。また、おにぎりやお弁当といった米を使った食品の人気が高まっており、コンビニエンスストアでは様々な種類のおにぎりが販売されています。
関連する記念日として、1月17日は「おむすびの日」、6月18日は「おにぎりの日」となっています。1月17日の「おむすびの日」は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で、被災地に「おむすび」が届けられた温かい心の象徴として記念日としたものです。6月18日の「おにぎりの日」は、日本最古の「おにぎりの化石」が発見された石川県鹿西町の「ろく(6)」と毎月18日の「米食の日」から制定されました。これらの記念日を通じて、米食の大切さと日本の食文化の豊かさを次世代に伝えていくことが期待されています。
防犯の日(毎月18日 記念日)
東京都渋谷区神宮前に本社を置き、日本で初めての警備保障会社として1962年に創業したセコム株式会社が制定しました。日付は「18」の「1」を棒に見立てて「防」、「8」を「犯」と読む語呂合わせから毎月18日としました。この覚えやすい語呂合わせにより、毎月定期的に防犯意識を高めることができます。
セキュリティのトップカンパニーとして社会の安全化に努めてきた同社の、企業や家庭、個人の防犯対策を毎月この日に見直して「安全・安心」に暮らしてもらいたいとの願いが込められています。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。防犯は一度対策を講じれば終わりではなく、定期的に見直しと改善が必要です。新しい犯罪手口が次々と生まれる現代社会において、常に最新の防犯情報をアップデートし、対策を見直すことが重要です。
同社は、警備サービス業国内首位の会社です。1962年の創業以来、「社会システム産業」という新しい概念を提唱し、セキュリティを中心に、防災、メディカル、保険、地理情報サービス、BPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)など、幅広い事業を展開しています。また、セコムグループは、日本国内だけでなく、海外21の国と地域に事業展開しており、グローバルなセキュリティネットワークを構築しています。
同社の社名「セコム」は機械警備の代名詞として広く浸透しており、一般名詞化しているほどです。警備システムを操作あるいは導入することを「セコムする」と表現する場合もあります。これは、セコムのブランド力と社会への浸透度の高さを示しています。企業や店舗に設置されているセコムのステッカーやサインは、犯罪抑止効果も持っており、「ここは警備されている」という明確なメッセージを発信しています。
また、個人や携行品、車やバイク等の安全を確認する「ココセコム」も被認知度が高いサービスとなっています。ココセコムは、GPS機能を使って位置情報を確認できるサービスで、子どもの見守りや高齢者の徘徊対策、貴重品の盗難対策などに利用されています。万が一の際には、現場急行サービスも提供されており、単なる位置確認だけでなく、実際の安全確保までサポートする総合的なサービスとなっています。
防犯対策の重要性は、年々高まっています。空き巣、ひったくり、振り込め詐欺、サイバー犯罪など、犯罪の手口は多様化・巧妙化しています。特に近年では、高齢者を狙った特殊詐欺や、インターネットを悪用した犯罪が増加しており、従来の防犯対策だけでは不十分な場合もあります。そのため、定期的に防犯対策を見直し、新しい犯罪手口に対応した対策を講じることが必要です。
毎月18日の「防犯の日」には、家庭や職場で以下のような防犯チェックを行うことが推奨されます。玄関や窓の鍵は確実にかかっているか、防犯カメラやセンサーライトは正常に作動しているか、貴重品は適切に管理されているか、不審な電話やメールには十分注意しているか、などです。また、地域の防犯情報を確認し、周辺で発生している犯罪の傾向を把握することも重要です。
企業においても、定期的な防犯訓練や、セキュリティシステムの点検、従業員への防犯教育などを実施することが求められます。情報漏洩やサイバー攻撃のリスクも高まっているため、物理的なセキュリティだけでなく、情報セキュリティの対策も重要です。
「防犯の日」は、こうした防犯意識を高め、具体的な対策を見直す機会として、社会全体の安全・安心の向上に貢献しています。一人ひとりが防犯意識を持ち、地域全体で協力し合うことで、犯罪の起きにくい安全な社会を実現することができるのです。
かの子忌(2月18日 記念日)
大正・昭和時代の小説家・歌人・仏教研究家である岡本かの子の1939年の忌日です。享年49歳という若さでこの世を去りましたが、その短い生涯の中で、文学界に大きな足跡を残しました。かの子の人生は波乱に満ちたものであり、その体験が作品に深い陰影を与えています。
1889年3月1日に東京市赤坂区青山南町(現:東京都港区南青山)で生まれました。本名はカノ。裕福な家庭に育ち、良家の子女として質の高い教育を受けることができました。跡見女学校を卒業し、当時としては進歩的な女性教育を受けました。また、芸術家・岡本太郎の母としても知られています。太郎は後に前衛芸術家として活躍し、「太陽の塔」などの作品で知られるようになります。母子ともに芸術家として名を残した珍しいケースと言えるでしょう。
女学校在学中の17歳の頃、歌人として著名な与謝野晶子を訪ね「新詩社」の同人となりました。与謝野晶子は『みだれ髪』で知られる情熱的な歌人であり、かの子は晶子から大きな影響を受けました。「明星」や「スバル」といった文芸雑誌から大貫可能子の名前で新体詩や和歌を発表するようになります。若くして文学の才能を開花させ、短歌の世界で注目を集めました。
21歳で漫画家・作詞家の岡本一平と結婚し、翌年に長男の太郎を出産します。一平は「東京朝日新聞」で人気漫画家として活躍していました。しかし、結婚生活は必ずしも順調ではありませんでした。夫との性格的対立に深く悩み続け、その苦悩から仏教研究に傾倒していきます。仏教の教えに心の救いを求め、深く学ぶことで精神的な支えを得ようとしました。この時期の仏教研究は、後の作品にも影響を与えることになります。
この間、平塚らいてうが創刊した女性文芸誌「青鞜」に参加し、女性の権利や自立について論じる活動にも関わりました。また、歌集『かろきねたみ』などを刊行し、歌人としての地位を確立していきます。しかし、一時期は文学活動から遠ざかり、仏教研究や家庭生活に専念する時期もありました。
転機が訪れたのは1936年、かの子が47歳の時でした。芥川龍之介をモデルにした小説『鶴は病みき』を発表し、小説家として本格的にデビューします。芥川龍之介は1927年に自殺しており、かの子はその芥川の苦悩と死をテーマに小説を書き上げました。この作品は文壇で高く評価され、かの子は歌人から小説家へと活動の中心を移していきます。
以後、小説家として精力的に執筆活動を行い、次々と作品を発表していきました。その他の主要作品には、小説『母子叙情』『老妓抄』『河明り』『生々流転』などがあります。『老妓抄』は、老いた芸者の孤独と誇りを描いた作品で、かの子の代表作の一つとされています。『母子叙情』は、母と息子の複雑な感情を描いた作品です。
小説家として実質的にデビューをしたのは晩年でしたが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表されました。わずか3年間という短い小説家としてのキャリアでしたが、その間に残した作品は質・量ともに驚くべきものでした。まるで自分の死期を予感していたかのように、集中的に創作活動に打ち込んだのです。
かの子の作風は耽美妖艶と評されます。女性の心理や欲望、老いや死といったテーマを、美しくも妖しい筆致で描き出しました。仏教的な無常観や、人間の本能的な欲望が交錯する独特の世界観が特徴です。また、自身の波乱に満ちた人生経験が作品に深みを与えています。
1939年2月18日、脳溢血により49歳の若さで急逝しました。まだまだこれからという時期での突然の死は、文壇に大きな衝撃を与えました。もし長生きしていれば、さらに多くの優れた作品を生み出していたことでしょう。「かの子忌」は、この才能豊かな女性作家の業績を偲び、その文学的遺産を後世に伝えるための記念日となっています。岡本かの子の作品は現在でも多くの読者に読まれ続けており、大正・昭和期の女性文学を代表する作家として高く評価されています。
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